叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

夏の大三角形の授業【理科】

① 七夕伝説って知ってる?

七夕の話。
だいたい、なんとなく知ってる。
知らない子もいる。

そこで、織姫と牽牛の話をする。
一年に一度、会える。

8月、夏休みの後半、夜、空を見てみると、
織姫と牽牛が、ちょうど真上にみえる。
夏の大三角形が、天球の真上に見える。


② 教科書にある、「夏の大三角形」の意味を知る。

教科書の「夏の大三角形」を、ノートに写す。
星に名前がついていることを確認する。
大きさや明るさが微妙にちがっていることを確認する。


③ 星座早見を渡す。

星座がたくさんあることを知る。
星座をみつけて、ノートに箇条書きにしてみる。
速い子は、5分程度で40個ほどもみつけて、書いている。
星座とは、夜空に絵がうかびあがるのではなく、星と星とを人間の想像で
線でむすぶと、形がイメージされてくる、ということを知る。


④ 今晩の夜空を印刷しておく。

今晩の夜空(インターネットで検索可能)の天球図を印刷しておき配布する。
子どもたちにはさみで切り取らせ、ぼうしのようにかぶらせる。
方角と星の位置をみんなで確認する。
「これ、今晩の夜8:00の、星の位置なんだよ。その時間だけしか使えないけど」
「え、そうなの」
「なんだ。じゃ、夏休みは使えない?」


⑤ 星座早見が、日時や場所を問わず使えることを知る。

星座早見の使い方を伝える。
日にち、場所の確認方法を伝える。


⑥ さそり座にまつわる神話を話す。

暴れん坊のオリオンに怒って、大地の神ガイアがさしむけたのが毒サソリ。
サソリが毒針でグサッとひとつき、あわれオリオン命をおとす。

その証拠に、オリオン座は、サソリ座が夜空にあがってくると、西の空へと隠れてしまう。
「今でもオリオンは、さそりから逃げつづけているって話なんだって」

早見をぐるぐるとまわして、みんなでさそりとオリオンの追いかけっこを楽しむ。
さそり座の赤い目玉が、「アンタレス」という星だということを知る。


⑦ こと座のベガを知る。

竪琴の名手、オルフェウスが最愛の妻を亡くし、さまよううちにその琴(こと)とともに、夜空にあがって星座になった伝説。
「大神ゼウスは、オルフェウスの琴を拾い上げて、夜空に浮かべました。星たちがその琴をとりまいたとき、ふたたび琴が美しい音色を響かせ始めます。静かな夜には、今でもオルフェウスの琴から、うつくしい調べがきこえているそうです。」

⑧ 星座早見を光らせる。

星座早見が光るので、太陽光にあててから、部屋の電気を消し、カーテンで暗くする。
蛍光塗料が塗ってあるらしい。
星座が光ると、

「わー、さそりが光った!!」

しばらくしてまた電気をつけて、 みんなの様子をみる。
興奮状態。

再度、部屋の電気を消すと、さっきよりも目が暗さに慣れてくるのか、

「あ、もっと見える!」
「星、光ってる!!」



このあと、もっと星の勉強したいねえ、というと、みんな

「うん、明日もやろう!!」

4年生って、ロマンチックな勉強ができる学年だねえ。


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消防署の授業

学校が火事になったら、どうするかなあ。

〇火を消す。

だれが消すの?

〇給食室の人とか、近くにいる人が消す。
〇大人が消す。

みんなはどうする?

〇逃げる。

大人はどうやって消すんだろう?

〇消火器で消す。

消火器はどこにあるの?

〇えっと・・・
〇学校のどこか。
〇給食室には、たくさんありそう。
〇廊下にあった気がする。
〇図工室の前で見たような・・・

では、校舎内のどこに消火器があるか、しらべてこよう。

校舎内のいたるところ、まんべんなく、消火器が置かれていることがわかる。



この他に、消防の設備、火を消すための設備があるだろうか?

〇火災報知器がある。
〇教室の天井に、なにかついている。火を感知するやつ。
〇消火栓もある。


火が大きすぎて、消火器で消せないことがあるよね。
そんなときはどうしますか。


〇電話!
〇消防署に電話する!


消防車がやってきたとします。
さて、学校の、どこに車を停めるでしょう?


〇火の近く。
〇あんまり近くじゃないんじゃない?
〇水の近く。
〇プールの近く?


たしかめたいねえ。
どうやったら、たしかめられるだろうか?


〇電話して聞いてみる?
〇消防署まで、行って、教えてもらう。
〇手紙を書いてみたい。



ちなみに、消防士になりたい人、いる?

〇・・・いない。
〇え、考えたことなかったけど、いいかも。
〇うん、いいかも。


今度、みんなで見学に行こう。

syoubousya_housui

採用試験を受ける人を励ます!

「わたしは採用試験を受けるべきでしょうか」

という問いが出てくる背景に、なにがあるのかな、と思う。


硬い、職業意識が、隠されてはいないだろうか。
ぜったいに仕事選びに失敗してはならない、という怖れで、
やわらかい感性までもが、ガチガチにこわばってしまっていないか。


人生を、大切にしたい、というもの。
みんな、そういう気持ちがある。
あって当然。


仕事とは何か。
人生とは何か。
職業を選ぶ、とは、どういうことなのか?

そういうこと、よく調べる時間もないから、
とくに若い時は、職業辞典のようなものを見て、
「仕事で、何をするか」ばかり、頭に入れている。

そのうえで、自分で納得し、選択していく力が残っていればいいけど。
仕事の種類を頭に入れただけで、エネルギーを消耗し、へとへとになってる。



ふりかえると、わたしの職業選びの、なんという軽いこと。

小学校で軽く俳優をめざし、
中学校でなんとなく小説家をめざし、
高校生になってようやく、

「自分は落語家になろう」

と決めることができた。

ただし大学生になって急きょ落語家を延期。
そこからはもう、書くのも大儀なほど、転職ばかり。
牛を飼ったり、研究所に勤めたり・・・、教師もいつ辞めるか分かりません。


これは、ネ。

つまり、なにをしようか、自分はなにがしたいかな、と、ずっと考えているっちゅうことだね。

それは、自分しか、自分の心がよく分からないので、自分がみてあげるしかない。



あ、そうか。

「わたしは採用試験を受けるべきでしょうか」 というのを、

あかの他人であるワタクシに質問をするってのは、

たぶん、こんなブログを書いている人に、

ちょっと背中を押してもらいたい、ってことだろうね。


よーし!!

背中を押したろう!!



「あんたは受けるべきやでぇ!!!
根性いれて、しっかり頑張らんかい!!
あんじょう、したらんかーいッ!!!



・・・どうでしょう?こんなもんで?


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教員採用試験を受けるかどうかの相談

長い間、ブログを続けていると、採用試験関係の悩みごと相談も舞い込む。

ブログページの、メッセージ機能で、わたくし、新間へ簡単なメールが届く仕組みになっています。

しかし、このような質問に、ほとんど、何も回答できずにいます。ごめんなさいネ。

「わたしは採用試験を受けるべきでしょうか」


結論から申し上げますと、それはおそらく神様さえも、ハッキリしたことは分からないのじゃないでしょうか。

〇小学校の先生は、やりがいがありますか。→
 他の人は知らないですが、わたしはやりがいがあります。

〇小学校の先生は、タノシイですか。→
他の人は知らないですが、わたしは楽しいです。

〇小学校の先生は、たいへんですか。→
他の人は知らないですが、わたしはほんの少したいへんです。ストレスって、0(ゼロ)だと健康的じゃないらしいですよ。

〇小学校の先生が向いているかどうか、どうしたらわかりますか。→
10年ほど、やってみるしかないと思います。それと、向いていない人はたぶんこの世にはいないと思います。どんな人も、その人の味が出て、その味において、子どもたちはかけがえのない学びをするはずで、親に向いていない親はいないし、人間に向いていない人間はいないので。




「よい人生」というのを、なんとなく想定して、あれこれと気になっていらっしゃる様子。

分かります。理想(こたえ)を追い求めたくなる気持ち。だれにもあります。

ただし、理想(こたえ)はなくてもかまわないし、理想がなくてもみんな幸福でいるのが理想なので・・・。

職業にも、答え、なんてものは、無いでしょう。

ぜんぜん、期待する答えになっていなくて、申し訳ないですナ。


ともかく、あなたは、

〇教師に向いていて、医者に向いていて、保育士に向いていて、技師に向いていて、プログラマーに向いていて、農場主に向いていて、商売人に向いていて、経理に向いていて、大臣に向いていて、ひよこの雌雄鑑別師に向いている

・・・はずです。

なぜなら、この世に、向き不向きは『無い』ので。

で、あなたがあなたの人生において、なにをしていても、バッチリOKなのです。

フハハハハ・・・

lamp_majin

第六感の話

担任というのは、子どもの顔を年中みているので、

ちょっとした表情の変化などを、感じることがある。

また、休み時間に子どもが校内のいろいろなところへ探検していても、

なんとなく、あのへんに〇〇くんがいやしないか、と勘のはたらくことがある。


職員室へ向かう途中、校舎の隙間から、予想通り、

〇〇くんの顔がのぞいて、ふと目があったりする。

予感がどんぴしゃの場合、自分でもおおー、と思う。

こういう情報というのは、脳内のどこでどう処理されているからなのか、

自分でも不思議だ。



わたしのクラス以外の子も、そのへんをテクテクと歩いているわけで、

その中にまぎれた自分のクラスの子を、まだよく見もしないうちから、

サッと感知できるのは、いわば特殊な能力だと言えましょう。(傲慢にも程が)




特殊能力と言えば、嫁様のことで、感心することがある。

嫁様は、すごいことに、ネコの尿意を、事前に察するのである。

「あ、おしっこしそう」とつぶやき、赤ん坊ネコをひょいと持ち上げて

トイレに連れていくことができる。

猫ははたして、その後、すぐにおしっこをするのである。

これは、わたしにはできない。

「まだ何もしていないうちに、なんでわかるの」

「わかるんよ。なんとなく」


事前に他人の(猫の)気持ちを感知できるのは、ほとんど、魔術としか、思えない。




近所に津村さんという、鶏を長年飼っていらっしゃる方がいる。

その方は、10代の終わりから、人生のほとんどを、鶏とともにすごしてきた。

そして、早朝から昼まで、ほとんど毎日、きわめて高速に鶏の羽をつかむ仕事をしていた。

もし、鶏の羽を背中からわしづかみにする回数を正確にカウントできたなら、

その回数において、とっくにギネスブックに載っている、という人であります。



その方は、ごくふつうに、

「あの子はちょっと風邪をひいてて調子が悪いナ」

と、たくさんの鶏のなかから、調子の悪い子を、見極めることができる。

「どうしてわかるんすか」

「うーん、顔の表情かな」


にわとりに、顔の表情があったのか・・・。

この事例など、人間の特殊な感知能力の凄さを示していると思う。





このように、人間というのは、なんだかしらんが、

ある関心事を、つきつめて、つきつめて、つきつめていくと、

神経のシナプス細胞が、その触手をひょろひょろと長-く、伸ばしていくようで、

凡人には計り知れない、あるセンサーを鋭敏に、『ど発達』させることができるらしい。



ちなみに、わたしは、ほとんど誤差なく、A4のコピー用紙を、30枚ほど、ずばっと、つかみとることができる。

たぶん、30枚の厚みを、指が覚えたのだな。

30枚というのは、クラスの人数分ね。

毎日のように、30枚だけ、宿題のプリントを刷っているので、感覚が覚えてしまったらしい。

ときおり、2枚とか3枚、ミスすることがあるけど。

人間の感知能力って、ちょっとすごいよネ~。(自分で言うな)


落語家

多様、は「一つ」であることの証拠

子どもといっしょに、図書室で図鑑を読む。

小学校の図書室には、高級な図鑑が何種類も置いてある。

「ポプラディア」の大図鑑とか、知ってます?

・・・絵も写真も、すごい量ですよ。

きっと、予算が潤沢なのでしょう。(国の将来を考えたら、スバラシイことだ)



そこで、ふと疑問に思うのは、

「なんでこの世の中は、こんなにも多種多様であるのか」

ということ。


この疑問は、幼い時から、ずっとわたしの心の中にある。





図鑑のページをめくるたびに、

こんなにも色とりどりの、

こんなにも大小サイズの異なる、

こんなにも複雑で形のちがう世界が展開されていくことに、

めまいを覚えるほどだ。

子どもも、どうもそうらしい。




わたしが必ず図鑑を一緒に読む、Sくんは、

「先生、図鑑読もう」

と、図書の時間に誘う。

わたしが図鑑好きなのを知ってるから、ネ・・・。




そこで、お互いに、

「うぉッ!!」

だの、

「これ、すげー」

だの、言いながら、ページをめくりあう。



最後におなかがいっぱいになったような気分で本を閉じ、

「いやあ、すごいねえ(世界って)」

と、顔を見合わせる。



「先生、今度は動物じゃなくて、魚を読もう」

「ごめん、もう動物だけでおなかがいっぱいになった」

「あそう」

Sくんは、ひとりで、魚図鑑をめくりはじめる。




図鑑を読むことの面白さは、見終わった後の、

「うーん、多種多様すぎる・・・」

という、一瞬、クラクラするような、頭の中の振動の『余韻』を味わうことだ。



なぜこれほどまでに、生物というのは、そして地球環境というのは、

多種多様なのか。

神様がひとりでつくったと西洋の人には信じられているらしいが、

神様もひとりで数百万種類の昆虫を考え出すのは、相当な苦難としんどい思いをしただろう、と思う。




そして、ふと、

もともと、世界は一つだから、多種多様なんだなー、と、思う。

もともと一つでなければ、こんな多種多様にはならんもの。
お互いが、お互いの存在を決して許さず、滅しあうだろう。

一つだから、「多様」と存在し、
多様だから「一つ」、と言えるのだろう。

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【4年国語】一つの花

初発の感想をきく。

〇かわいそうな話だと思う。
〇ゆみ子がかわいそうだった。
〇戦争しているから、かわいそう。

みんな、口々に、かわいそう、という。

「あ、そう。この話、かわいそうな話だった?」
「うん」

そこで、最初の発問を考える。

「どんなふうに、物語を深く読んでいけるか・・・なにか、考える糸口は・・・」
「だれがいちばん、かわいそうか、は?」
「じゃ、そうしよう」

うちのクラスの、最初の学習問題は・・・

いちばんかわいそうなのは、だれ?


ゆみこ派
・まだ小さい子なのに、いろんなことをがまんしなきゃいけないから。
・最初に覚えたのが、ひとつだけ、だから、よっぽどがまんしているから。
・お父さんの顔を覚えていないから。

お母さん派
・お父さんが帰ってこないので、ひとりでゆみ子を育てていくことになるから。
・ぜんぶゆみ子にゆずってあげていて、自分はほとんど食べられないから。
・戦争中で、いろいろとたいへんそう。

最初は、ゆみ子派とお母さん派が多かったが、音読をくりかえすうちに
お父さん派もでてきた。

お父さん派
・戦争に行って自分が死ぬかもしれないから
・戦争に行くけど、家族をのこしていかなきゃいけないから、もう会えないかもしれないから
・ゆみ子に、なにか買ったりあげたりしてあげたいけど、コスモスくらいしかあげるものがなかったから

手をあげさせると、初日、2日目までは、お母さん派が多かったが、3日目からダントツでおとうさん派が増えた。

つぎに、考えてみたいところは・・・

お父さんがプラットフォームから汽車にのって戦地へ向かう場面。
なんだかしっくりこないところがあるけど、どう?


〇あるある。なんで、なにも言わずに行っちゃうのか、というところ。
〇それと、最後はゆみ子の顔をみると思うけど、そうでなく、花を見ながら出発しちゃうところ。

じゃ、2つめの学習問題は・・・

なぜ、お父さんは、一つの花をみつめながら出発したのだろう。



・ゆみ子を見てると、悲しすぎるから。
・特別なプレゼントだったから。
・この花は、お父さんの代わりだよ、忘れないでね、という思い。
・最後のプレゼントだったから、おれの代わりにゆみ子を守ってね、という思い。

共感できるのは、
「忘れないで」と、「守ってね」。
子どもたちは、どちらの意見も、共感できる、に手をあげた。

「これは、どっちかには決められないと思うな。どっちの思いも強くあったと思う」
「ぼくもそう思う」


「しかし、そもそも、なんで花なんだろう?花を大事にするんだよう、って渡したけど」
「花くらいしか、そこの場にはなかったから」
「生きている花だったから」
「ゆみ子に、似合うと思ったから」
「びんにさして、家にかざって、家の雰囲気を明るくしてほしかったから」
「プラットフォームのはしっぽに、忘れられたように咲いていたから、忘れちゃだめ、という気持ちに合ってた」
「花に、願いをたくしていると思う」

じゃ、3つめの学習問題は・・・

「お父さんがゆみ子に本当に大事にしてほしかったものはなにか」



・お父さんの愛情
・お父さんの記憶
・お父さんはゆみ子を愛しているよ、ということの証拠
・生きていく、ということ
・たったひとつの、いのち
・ゆみ子は死なないでね、ということ
・笑顔
・家族で幸せになっていくんだよ、ということ


とくに、3つめの発問では、
ふだんあまり発言しない子が、堂々と
「いのちだと思う。お父さんが願うのは、たったひとつ、生き残ってくれ、ということだと思う」
と、力強く発言していたのが印象的だった。


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