叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

学級の仲間意識について

学級とは、子どもにとっては、いったいどんな場なんだろうか。

同じクラスの子に対して、つよい連帯感や、仲間意識をもつ。

家族もそうだが、教室も、自分の居場所、自分を受け入れてもらえる場、という感じか。

家族のように受け入れてもらえる場であり、学びの場。

子どもにとって、学級の仲間というのは、いったいどんな仲間なんだろうか。



クラスで、朝、だれかが休んでいるとき。

「あ、Mちゃん、休みだー」


すると、その日は、Mちゃんのいない、一日である。


Mちゃんがいない、ということがわかったとき、なんとなく、ああ、残念、という感じが湧いてくる。

朝の、まだ静かで、教室全体が透明で、なにも色のついていない時間に、

Mちゃんのいないことがわかったときの、

ああ、ちょっと物足りない、というような。




「ああ、Mちゃんがいないんだね」

「Mちゃん、休みだね」

「Mちゃん、熱があるんだって」




Mちゃんのことが、話題になる時間。




「Mちゃんの家に、連絡帳とどける人ー?」

「あ、2組の〇〇ちゃんの家が、ご近所!」





上下感のない、優越感、劣等感、そんなものがまだ無い、

まだ、10歳にならない子どもたちの、

小学校の4年生の、「仲間意識」とは。



ともかくも、仲間である、という、『仲間意識』。

ただ、一緒のクラスだー、というだけの。

とにかく仲間である、という意識。

ほとんど、理由が、ない。

理由がないのに、仲がよくなるって・・・。



不思議だね。

なんで、よそよそしく、ならないのだろうか・・・。




関われば、関わるほど、安心できる、間柄。

教室という場がもつ、スーパーな潜在力によるもの、なのかも。



花と水滴黄色6

教室という平和の砦

ついに岡崎の夏が始まりました。

夏休みです!!

(まだ夏休みでない地域の小学校の先生たち、ホントにご苦労様です・・・)



さて、夏休み入ると、子どもたちが学校に来なくなるので、

わたしはずいぶんと、さみしい思いをもつ。

しかしまあ、そんなことはどうでもいい。



教室というのは、なんと平和で、あたたかくて、居心地がよくて、

面白くて、人が大好きになってくる場だろうか。



わたしは1学期のささいな子どもたちとのやりとり、

子どもたちどうしのおしゃべりや、どうでもよいような事柄を、あれこれと思い出す。



そして、なんども、それを反芻し、幸福な気分に浸るのであります。

人が好き、というのは、なんとも象徴的なことだ。

子どもは、どうしようもなく、仲の良いもの。

けんかもするし、いさかいもあるが、なんとも本気で、人が好きで、友達が大切でしかたのない人たちであります。



教室が、いかに人生のヨロコビに満ち溢れた場所か、

多くの大人がしかめつらで生きているのを見ると、

なんとも申し訳ないが・・・。






世の中の、さまざまな気にしなくてもよいことを気にせず、人がどうしてこうも人を大切に思うのだろうか、ということを、ありとあらゆる教室の中の事象でもって、確認していける日々は、もうこれ以上ないほどの幸福だ、と思います。


この、小学校の教室のもつ価値に、賢い大人の、だれも目を向けない。

(しかし、目を向けられると、不要な世話を焼いてくる可能性もあるから、このままでよいのかもネ)

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子どもの泣き声で思うこと

海の日がありましたでしょう。

どうやら、近所の家に、そこのお孫さんが遊びに来ていたらしい。

朝の8時ごろでしたでしょうか。

わたしゃ、家で、つめたい氷を口に入れて、ボーッとしておりましたら、

かすかに、ほんのかすかに、遠くの方から、子どもの泣き声が聞こえてきたんですわ。



「ん?」

と思いましたね。

瞬間、昭和に戻ったような。

ゴダイゴ銀河鉄道999を熱唱し、国際児童年が謳われたような時代には、
全国のご家庭で、子どもの泣き声がしていたような気がする。



しかし、時代が変わりました。

今は、子どもの泣き声を聞いたら、通報することが奨励されてますからネ。

児童虐待と思しき事態を感じた時点で、通報する義務があります。

これまで、児童相談所全国共通ダイヤルは10桁の番号(0570-064-000)でしたが、覚えやすい3桁の番号にして、子どもたちや保護者のSOSの声をいちはやくキャッチするため、平成27年7月1日(水)から「189」(いちはやく)という3桁の番号になりました。


ところが、わたしはそこのお孫さんたちを知っているし、その兄弟が、しばしば喧嘩をすることを知っている。

だから、通報はしません。わたしの主観的な判断で良いのですから。通報するかどうかの判断は、その人個人に委ねられていますからネ。わたしの脳みそは、それは児童虐待とは判断しなかった。



子どもは泣くものだ、ということ。

これが、どうにも、社会全体で、常識にはなっていないらしく、

いつのころからか、

子どもが泣いているのは、異常

という認識があるようです。

なんでだろう?




一つには、虐待防止キャンペーンが、思わぬ逆作用を生んでいるのでは、と思うことがあります。


児童虐待防止キャンペーンのチラシに、

「近所から泣き声が聞こえてきたら要注意」

というような文面があり、これはまずいだろう、と思ったことがあります。



これは逆でしょう。

「近所から、泣き声もしないような、火の消えたように静か~な子育て家庭があったら要注意」

が、本当ですよね。

おそらく、泣き声をたてることすら許されないような関係は、かなりいびつで、その子のこころを捻じ曲げているように思う。

子どもは思い切り泣くことを許されるのか、

それとも泣くことが許されないのか。

この、どっちが虐待か。



子どもが、泣くのは、平和のしるし。

ホントの虐待なら、声を絶対にたてさせていない。

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「思い出のまあにい」

つい先日。

思い出のマーニー」という映画がテレビで放映されたらしい。



この映画のタイトルを聞くと、どうしても思い出すことがある。




昔のクラスでのこと。

この映画のタイトルを聞いたある子が、

「まあにい(兄)の本名はなんなの?」

と、思ったそうなんです。



「まあ兄?」


思い出のまあ兄。


なるほど。

ま・さ・こ 姉(ねえ)さんなら、まあ姉ちゃん(マーねえちゃん)になるだろうし、
ま・さ・ひ・ろ 兄(にい)さんなら、まあ兄さん(マーにいさん)になるだろうね。


思い出のまあ兄(にい)。

なかなか、親しみのある、ちょっとほんわかした、ホームドラマのような映画。


人の、名前の、呼び方だけでも、

こんなふうに、そのへんの空気が、ずっと幸せになるわ。



〇〇(←名前の一部)兄(にい)、という呼び方。

この呼び方をしたくなる、そういうふうに声をかけたくなる、そんな人間関係がある。




そういえば。

子どもたちどうしで、あだ名で呼び合っているとき。

お互いに、そう呼び、呼ばれていることの、楽しさ、安心、じんわりと通じるもの。

ありますね。あると、思うね。


・・・ (*´з`) ・・・

思い出の

自由研究でなにをするか、10のヒント

(前回からのつづきです)

パターン2は、高学年向け。

これは、ともかく、【実験と表とグラフ】。
これが決め手になります。


もうすでに、わかっているようなことや、本に書いてあることで、良いのです。

自分で工夫して、家にあるものや安価な道具で、思い切り実験できることが大事。

子ども時代は、「実験」という2文字だけでも、十分にこころがはずむのです。




ところで、自由研究、わたしが好きなのは、パターン3です。

つまり、

実験をして、新しい発見をする。


これは、子どもだけでなく、中学生にも高校生にも、ときにはもしかすると
大人にだって、高度なことです。

たとえば、
魚には色彩が見えるのか。

こんなの、はたしてどうやって実験するのか、分かりません。
実験するったって、どうやるの?

このくらいのレベルが、パターン3です。

しかし、これ、なんとなく実験してみた、というので、いいんです。
水槽を赤い画用紙でとりかこんだときの、餌のがっつき方、というのでもいい。
3日後、青い画用紙で同じようにえさをやって、ちがいを見てみればいい。

ずいぶん主観的な実験で、厳密にいえば科学の世界からは遠いものなのですが、
小学生にとっては、

「なんとか実験したい。とりあえず実験してみよう」

という気持ちと、アタックする行動が大事なので。

この、【実験のやり方】、という部分について、先生や親に相談するのは、とてもよいことだと思います。


以下、参考までに。


1) うちの猫は、左利きか、右利きかを検証してみる。

2) かっぱえびせんをつくりたいが、作り方がわからないので、袋の原材料名をみて、勝手に想像してやってみる。

3) 夏休みをすべてつかって爪の長さののびる速さをしらべる。

4) 1ぴきの蟻と砂糖をびんに入れて放っておくと、翌日も「はたらき蟻」のままでいるか、だらけた蟻になるか検証する。

5) 新しい漢字を発明し、現代社会において漢字として認めてもらうにはどうしたらよいか調べる。

6) 手羽先を食べたあとに、骨がのこったので、ポリデントで骨を洗い、きれいな骨格標本にしてみる。

7) すいかの種の場所を、徹底的にしらべてみる。

8) 積木で迷路をつくり、ダンゴムシを入れて走らせ、学習能力があるかどうかしらべる。

9) コンビニエンスストアに集まる蛾を捕獲し、各コンビニごとに蛾の種類の違いが出るかしらべる。

10) お母さんの機嫌がよくなる一言はなにか、毎日調査する。


好きなことに、どっぷりと浸りこむ快感は、
小学生にとって、なによりの「心のごちそう」ですナ。

 

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自由研究は、AとBの比較が良いという話

夏休みに入る前、

教室で、自由研究の話をした。

そろそろ夏の宿題を伝えておかないと、と思ってたら、

「自由研究やるの?つまんないからヤダ」

と開口一番、Mくんが言う。

そこで、ちょっとみんなの気持ちを整理しましょう、と。


まず、自由研究にはネ、3つのタイプがあるのだよね。

 パターン1 すでに知られていることを調べ、まとめる

 パターン2 すでに知られていることに関して実験をし、確認をする

 パターン3 実験をして、新しい発見をする


このうち、いちばん小学生にふわわしいのは、パターン1でありましょう。

なぜなら、大人はもう十分に知識としてある事柄であっても、
まだ9歳や10歳の子にとっては、

「へえ、はじめて知った。本当なの?」

ということが多いわけです。
それで、

「自分でもたしかめてみたい」

と思うのは当然で、その意欲がステキなのですナ。


コツがあります。

① 〇〇は〇〇である、ということをはじめて聞いた(知った)
② それで、くわしく調べてみることにした。
③ 図書館で3冊借りて、とくにくわしいところを抜き出して表にまとめてみたよ。
④ これだけじゃつまらないから、身近な人の体験談を聞いてみたよ。
⑤ そしたら、図書館の本には書いてなかったけど、こんなことを言ってたよ。
⑥ ぼくは、本に書いてあることと、身近な人の体験談をくらべてみて、わかったことがあったよ。

もうお分かりでしょう。
世間一般的に存在するテーゼに、もうひとつ、身近な体験談を仕入れて、比較するのです。
そうすると、比較したことで実証されることもあるし、ちょっと別の視点も加わることもある。
つまり、ひとひねり、効くのですネ。

『自由研究にひとひねり追加するには、比較、の要素を入れる』


これで、小学生の自由研究は、バッチリでございます。


例)

テレビでゲリラ豪雨の報道をしていた。
ぼくの住む町でも、すごい夕立があって驚いたことがある。
いつもの通学路がすっかり水たまりになっていたよ。
お父さんに聞いたら、「地球の天気がどんどん昔と比べて変わってきた」んだって。
そこで、ぼくの誕生日のむかしの天気をしらべてみたよ。

☆過去の天気
https://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/past/

10年前の8月1日(ぼくの誕生日)→ 天気晴れ、最高気温28度
9年前の8月1日(ぼくは1歳の日)→ 天気くもり、最高気温27度
8年前の8月1日(ぼくは2歳の日)→ 天気豪雨、最高気温32度
・・・
降水量は年を追うごとに増えていってるのが分かりました。
気温も、10年間で傾向を見ると、少しずつ上がっていました。


この場合は、テーゼとして、お父さんのひとこと、があります。
「昔とちがって、今の天気はおかしくなってきとる」

これ、大人はだれも、気に留めない発言なのですが、
まだ生まれて10年の子どもにとっては、「へえ、そうなの。本当かな」と調べたくなることです。
そこで、ぼくの誕生日の過去のデータを調べて、お父さんの話に、ひと手間加えるわけですナ。



では、高学年はどうでしょう。

実験してみたくなっている高学年の子は、パターン2がおすすめです。(つづく)

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自由研究の相談

夏休みになる前、

「先生、自由研究なにしようかなあ」

という相談が増えます。

わたしがいつも言うのは、

「図書館に、ボーッとしながらいたらいいよ」

です。



図書館で、なにも決めずに、ボーッとしながら突っ立っていると、

どこからともなく、本が呼んでくれます。

「おーい、おれを読みなよ」
「いやいや、わたしを読んで」
「こっちがおもしろいぞ」
「わたしはすてきな本よ」


呼んでくれた本の背表紙を、ともかくじっくり見てみます。
すると、なんだかそいつとじっくりとつきあってみたくなる。

なにしろ、自分で選んだのではないのですから。
本が、自分を呼んでたわけで。



そういうと、子どもは馬鹿にして、

「本がしゃべるわけがないがー」

と、ぷんぷんしながら、行ってしまいます。

わたしは追い払うことに成功し、ホッと胸をなでおろしながら、
あわてて次の時間の授業の、ちょっとした準備をします。



すると、しばらくしてその子がやってきて、

「この本借りた~」

と報告してくれます。

どうしたのか、ときくと、自分で図書館に行き、
本が呼んでくれるのを待っていたらしい。

わたしは驚いて
「本が呼ぶわけないでしょう」
と思わず口にしてしまいましたが・・・


子どもの方は、


「なんとなく、シャボン玉で実験したくなった」

とか、

「葉っぱの色をしらべることにした」

とか、

「おじいちゃんの家が四国だから、うずまきの実験することにした」

とか、

あれこれと思いつくらしい。


結論。


図書館は、ひらめきの冷凍庫。
解凍しようと思えば、なにか出てくる。



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