叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

「困らない」への道 その2

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(「困らない」への道 その1より つづき)

教師になってからは、仲間に恵まれた。

現場の、同じ職員室の仲間や先輩にもめぐまれたが、

なによりも、同じ地域ですごす、気の置けない友人たちがいた。

わたしの話に、親身になって、耳をかたむけてくれた。


わたしがときおり、

「学校の話、きいて」

と出すこと、こんなこと考えてる、ということ、深呼吸するように、思って出すことを、

家族の居間のような雰囲気で、何度もきいてくれた。

その座談会の場所を提供してくれていた、宿のご主人もいた。


また、なによりも、わたしを育ててくれたのは、子どもたち。

ていねいに話をしていけば、それが通じているよ、と答えてくれた。

こんなふうにしていきたい、と伝えれば、いっしょにやろうよ、と応えてくれた。

先生、こんなふうにしたいよ、これがおもしろいよ、と教えてくれた。

幸福でありたい、と毎日わたしに伝え続けてくれ、教えてくれたのは、子どもたちである。



さらには、このブログも大きい。

気づくと、もう10年になる。

ほぼ毎日のように、書き続けてきた。

これが、わたしの「ひとりごと」。

わたしが想像した人へ、なにかわたしの言いたいことを、受け取ってくれそうな人を想像しながら、

毎日ここでこうやって書き続けて、頭の中のことを表しつづけていると、

ふと、だれかに通じているような気がして、落ち着いて初心(というのか?)に

かえることができる。


なかには、ときおり、コメントや励ましのメールをくださる方もいる。

三重県には、そんなわたしを呼んで、「いっしょに話をしよう」と言って下さる方たちも、いる。



書いてきてよかったなあ、と、このことでも、そう思える。

書きながら、自問する日々。

今は、着実に、明るく、ひたすらに心地よい道を、歩んでいる。



先日、また、わかい大学生から、メッセージをもらった。

ブログを見て、という人。

教師になろうかどうか、と思っているそうだ。

「教師がブログを書いているのはいろいろみたが、こんなふうに教室の風景や出来事、教師の心理を描写しているブログは、少ない」とのこと。

自分なりの理想をめざして、たのしみに毎日勉強している、らしい。

ぜひ、「困らない自分」で、進んでいってほしい、と願う。


がんばれ!!

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「困らない」への道 その1

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わたしが困らないようになったのは、幼いころに受けた経験もあるし、

また、10代、20代に周囲のいろいろな人や事象から、学び、影響を受けてきたからだと思う。

30代になり、ほぼ、

「これは、人生、困らないでも行けるかもな」

と思い出して、

教師をめざすようになったのは、そのように、

「困らないようになった」

ことが、ひとつの大きな条件だったろう。

もし、困るようであれば、教師にはならなかったろうと、ふりかえって思うことがある。

また、困るようであれば、多くの人に相談しただろうが、

わたしはほとんど、相談もせず、自分で必要と思われることをひたすらやりつづけた。

これも、今思えば、

「困らない」

ということが、自分にあったからだろう。

もし、困るようであれば、周囲の人に相談しまくって、結局は「やめたら」と言われて、やめていたのではないか。
〇30代
〇家族持ち(嫁さまと赤ん坊)
〇貯金なし
〇免許なし
〇高卒

この条件で、たった今から教師を目指します。

というのは、ふつうに考えれば、困る要素に満ちている。

もし、試験に落ち続けたら・・・
もし、採用されなかったら・・・
もし、勉強時間がつくれなかったら・・・
もし、免許がもらえなかったら・・・
もし、一か月間の教育実習に行くことができなかったら・・・


こういうことに、「困る」ようであれば、最初からやらない。
『困らない』からこそ、挑戦し、課題をクリアし、教師になった。


わたしが30代になってから免許も無いのに結婚し、子どもが生まれてから教師をめざした、というと、

「すごい強い信念で、夢を追い続けたのですね!」


と、感心して言って下さる方がいた。



ところがネ。

強い信念なんて、もったことがない。

そうではない。

誤解です。

強い信念など、不要なのです。

必要なのは、

「困らない」

ということ。


ほとんど、世の中の課題というものは、この一点で、のりきることができるのだろうと思います。(つづく)

先生ありがとう2

無抵抗と、不服従

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人間の宿命とか、運命と言うものがあるのだろうか。

あるとしたら、それは生まれた時代のことではないだろうか。

生まれ落ちた場所や、自分をとりまく社会、家族、

赤ん坊は、それを自分で選ぶことができない。



そして、人は、その中で、

どうしても、

無抵抗

で生きていかざるを得ない。

しかし、無抵抗なのは見た目だけ。

人間だれでも意思はあるし、考えるという作用も働く。

そこで、一見、『無抵抗』にみえる子どもたちは、どうしても

服従

という選択をとろうとしていくのではないだろうか。



生まれた場所や時間、時代、環境というものについては、人間は無抵抗である。

しかし、意志としては、

服従

である。


つまり、自分の「選択」というものを、発揮しようとする。


われわれ教師は、この点を誤解するのかもしれない。

学校や教室、教師、学級、クラスメート、というものについては、

無抵抗に運命を受け入れる子どもたちが、

あたかもなにか、「学校に潜む、見えない何ものか」に、「服従」 していると思いがち。

しかし、どの子にも、心があり、考えがあり、その意志は、はっきりとある。

ちっとも、服従なんて、していない。



いつもいつも、自分を大切にするための、小さな選択を、

自分自身で、積み重ねようとしていくのが、子どもの本来の姿である。

教師は、そのことについて、何も困らないはず。

むしろ、それをバックアップし、サポートすることが、教師の生きがいだ。

運命には、だれも服従する人はいない。大人も、子どもも

抵抗しないかわりに、服従もしない。

自分で考え、生きていく。

だれの意志も、決して、曲げられず、

自然に素直に、伸びていく。



人類に、服従無し。

当然だよネ。

どこまでも、自由に選択をしていく。

そのことが、人間の最高の楽しみ。

学校全体も、そのことが、わくわくするほど、タノシイことであるはず。

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肝心なものは手に入れられない

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運動会でうんと高いピラミッドが完成しても、なんだか中身がスカスカだと、後味が悪い。

校庭に、怒声罵声が響きわたり、嫌みや皮肉を言われまくって、子どもたちがげんなりした顔でつくったピラミッド。

親も先生も、後味が悪すぎて、感動も何もないもの。

結果は手に入れたかもしれないけど、肝心なものは手に入れられないままで・・・。



完成したピラミッドが欲しいのではなかったんだ、と、いつも、終わったあとに気づくのよネ。


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「なんか、世の中、ずるいよね~」

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職場の親睦会(飲み会)がありました。
研究会や部会、学年会でまだお互いにほとんど話したことのない人がいる。
出会ってまだ2週間のお互いで、ちょっと懇親会、ということになった。


二次会で、複数の先生にさそわれて、岡崎市内の小さなお店に行きました。
ちょっと人生を語り合う感じになりました。

結婚していてもしていなくても、幸福になる人。
合格してもしなくても、幸福になる人。
賞をとってもとらなくても、幸福になる人。
なにかになってもならなくても、幸福になる人。

不思議とそういう人が結婚したり合格したり賞をとったりする。

「なんか、世の中、ずるいよね~」

と、酔っ払った女性の先輩が、ビールを注文しながら叫んでおりました。



「すでに幸せな人だけが、さらに幸せになっているように見える」のだそうです。

「〇〇ちゃん(後輩の先生)なんか、あんだけ仕事できるのに、そのうえ、かっこい彼氏がいてさ~」



以下、先輩談。



この野郎、と思う。

うちも、と思う。

そこで、イチかバチか、人生の大博打に出ると、なぜか失敗してしまう。



ところが、すでに心が満足している人で、

「もうあんたはおなかいっぱいでしょ!要らないでしょ!」

という人にこそ、幸運が舞い降りて、

現世の利益を享受しているようにも見える。




皮肉というか、

サカサマというか。

「なんか、世の中、ずるいよね~」

だそうです。



そして、結果がほしい人のところには、結果が来ない、のだそうです。

あるいは、結果(のようなもの)を得たとたん、破綻する。


「よく分からんよ、世の中は!」

という、先輩。



たしかに、なあ、と思います。

世の中の思考が、サカサマだということを、またひしと感じた夜でありました。

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感情の名前を、教えない

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わたしは、感情の名前を、教えない。

学習指導要領に、すべての感情の正しい名称を教える、というのがあれば、教えるだろうが・・・。


体験したことも無い感情の名前を、

「悲しみ」

と教えるのではなく、

「なんか不思議な感じ方」

としか、言わない。



あなたなら、どうつける?

と言うと、

「え、つけてもいいの?」

と聞いてくる。


そんなもの、自由に決まっておろうが!



こんなふうに、感情の名前を正しく言わねばならない、というのは、

日本人が全体に、緊張しすぎているからではないだろうかと、ふと思う。

なぜ、日本人はこうも、

頑張り屋で、スポ根大好きで、緊張しているのだろう・・・。




「世間では『悲しみ』と呼んでるけど、あなたの好きなように呼んでいいし、ペットみたいにかわいがってもいいんだよ。棘針があるから触らない方がいいけどネ」

「わかりました」



その子はそっと心の奥の方に、その感情をくるくると押し戻して、

「見なかったことにします」

と言った。

6

ジェットストリームの思い出

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中学生の頃、TOSHIBAのSUGARというラジカセを買ってもらい、毎晩聞いた。

チューナーをFMに合わせると、深夜近くになって、ジェットストリームが始まる。

勉強しながら、という名目で聴くのだが、ジェットストリームの頃になると

だんだん瞼が重くなってくる。

最初のナレーションをきいて、しばらくするうちに、そのまま我慢できなくなって睡眠、ということが多かった。

城達也さんのマネをして、ゆっくりと、

「今宵、皆さまの夜間飛行のお供をいたしますパイロットは、わたくし、城達也です」

と話すの、何度も何度も、やってたなー。

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ジェット・ストリーム……

遠い地平線が消えて

深々とした夜の闇(やみ)に 心をやすめるとき、

遙(はる)か雲海のうえを

音もなく流れ去る気流は

限りない 宇宙の営みを告げています。

満天の星をいただく 果てしない光の海を

豊かに流れゆく風に心をひらけば

きらめく星座の物語も 聞こえてきます

夜のしじまのなんと饒舌(じょうぜつ)なことでしょうか。

光と影の境に消えていった

遙かな地平線も 瞼(まぶた)に浮かんで まいります。

日本航空があなたにお送りする 音楽の定期便、ジェット・ストリーム。

今宵、皆さまの夜間飛行のお供をいたしますパイロットは、わたくし、城達也です。


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城達也さん。
ご冥福をお祈りいたします。