叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

「それができたら、苦労しませんよ」というセリフ

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新間先生のいうことは分かります。

でも、それができるんなら、だれも苦労しませんよ。


そう、言った途端、何が起きるか。

脳に、フィルターがかかる。


「それは、むずかしいこと」
「それは、ほぼ不可能なこと」
「それは、特別な人しかできないこと」


たった一言、「それができたら苦労しない」と、言うだけで、
すぐにこれだけのフィルターがかかる。



わたしは、心底、驚く。

同じ人間だ。

同じ、だよ。

変わらない、本当に同じ、人間のやることだ。

人間のやることを、「人間がやる」というのは、当り前のこと。

だれかがやったことを、自分もやることができる、と考えるのが、ふつう。

少なくとも、やれる可能性はある、と考えるのが、ふつう。



それはできない!

と、とってもあっけなく、自分の脳に言い聞かせちゃってるようだけど、

それに気づいてない。

「叱らないでもいい?はっ、そりゃ」

その人は、肩をすくめて言う。

「新間先生、先生の言うことは理想ですよ。それができたら、だれも苦労してないですよ」



わたしは、何も言わない。

その人は、そう思ったんだから。

その人の感じ方は、自由で、それをくつがえすことは言わない。




だけど、頭のどこかで、


もったいない


と思ってます。



「そりゃあ理想論ですよ」

理想だから実現しない、という考えの筋道のわけは、

前もって、自分自身に向けて、きちんと言い訳をしておく、という感じなのかもね。



↓ 写真は、空気で走る自動車。

air-CAR