叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

好きな人のためなら

以前から、この「感じ」は、言いようが無い、と思うことがある。

それは、子どもが、「意気揚々と」、手伝ってくれる時の、あの感じだ。

顔が、光り輝いている。

そして、目が、楽しくて仕方がない目になっている。

用事が終わりそうになる、その前に、すぐに、

「先生、これが終わったら、次は?」

と、聞いてくる。

他の子が頼まれそうになると、

「ぼくもやれるよ!先生!」

と、自分を指名してくれるように頼む。


そこで、

「あ、〇〇さんは、こっちやってもらおうと思うの。Mさんが、あっちに運ぶでしょう。そしたら、そのあとに、残っているこれだけを、別の箱に入れておいてほしいのよ」

と、自分の活躍場所が指名されると、これがもう、なんともうれしくて仕方がないようで、

「うん!わかった!!!」

と、もうさっそくとりかかろうとする。



この感じ、なんでしょうね、もう、


「あなたの言うことを、願いを、聞きたくて、聞きたくて、添いたくて、添い遂げたくて、一緒に居たくて、一緒に話したくて、一緒に見たくて、一緒に笑いたくて・・・・」


こんなような、オーラが、もうそこらじゅうに、いっきに、ばらまかれている感じ。

そして、そのオーラが強烈であるがゆえに、クラス中が、ものの15秒も経たぬうちに、そっくりそのまま、その雰囲気に染まり切ってしまう。



先生は、これが嬉しいのだな、というのを、発見したときの感じ。




学校では、これをやることになっている。

学校では、これをやることが、ルールになっている。

という、行き方ではない。

子どもは勉強をするものだ、クラスの仲間を大切にするものだ

という、道徳規律で、言うことを聞いている、というのとも、ちがう。






好きな人のためなら、とことん。


そんな感じがする。



そういう、子どもを相手にしていることの、


なんともいえない、「恐ろしさ、畏れ、怖さ」というものを、感じる瞬間であります。



(好きな人のためなら、というの、これが、人間の持つ、最大のパワーなのかもな、と思う)

 

 

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