子どもの泣き声で思うこと
海の日がありましたでしょう。
どうやら、近所の家に、そこのお孫さんが遊びに来ていたらしい。
朝の8時ごろでしたでしょうか。
わたしゃ、家で、つめたい氷を口に入れて、ボーッとしておりましたら、
かすかに、ほんのかすかに、遠くの方から、子どもの泣き声が聞こえてきたんですわ。
「ん?」
と思いましたね。
瞬間、昭和に戻ったような。
ゴダイゴが銀河鉄道999を熱唱し、国際児童年が謳われたような時代には、
全国のご家庭で、子どもの泣き声がしていたような気がする。
しかし、時代が変わりました。
今は、子どもの泣き声を聞いたら、通報することが奨励されてますからネ。
児童虐待と思しき事態を感じた時点で、通報する義務があります。
これまで、児童相談所全国共通ダイヤルは10桁の番号(0570-064-000)でしたが、覚えやすい3桁の番号にして、子どもたちや保護者のSOSの声をいちはやくキャッチするため、平成27年7月1日(水)から「189」(いちはやく)という3桁の番号になりました。
ところが、わたしはそこのお孫さんたちを知っているし、その兄弟が、しばしば喧嘩をすることを知っている。
だから、通報はしません。わたしの主観的な判断で良いのですから。通報するかどうかの判断は、その人個人に委ねられていますからネ。わたしの脳みそは、それは児童虐待とは判断しなかった。
子どもは泣くものだ、ということ。
これが、どうにも、社会全体で、常識にはなっていないらしく、
いつのころからか、
子どもが泣いているのは、異常
という認識があるようです。
なんでだろう?
一つには、虐待防止キャンペーンが、思わぬ逆作用を生んでいるのでは、と思うことがあります。
児童虐待防止キャンペーンのチラシに、
「近所から泣き声が聞こえてきたら要注意」
というような文面があり、これはまずいだろう、と思ったことがあります。
これは逆でしょう。
「近所から、泣き声もしないような、火の消えたように静か~な子育て家庭があったら要注意」
が、本当ですよね。
おそらく、泣き声をたてることすら許されないような関係は、かなりいびつで、その子のこころを捻じ曲げているように思う。
子どもは思い切り泣くことを許されるのか、
それとも泣くことが許されないのか。
この、どっちが虐待か。
子どもが、泣くのは、平和のしるし。
ホントの虐待なら、声を絶対にたてさせていない。