叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

人としてもっとも必要とされる存在とは

お地蔵様に傘がかぶせてあって、

おまけにきれいに掃除がしてあって、

そのうえ、美味しいものがお供えしてあると、

そこを通りがかって見る人のほとんどが、

なにかしら、ほこっとした温かさと、安心感を覚えるのではないかと思う。



どんな知らない土地であっても、

この土地のお地蔵様がこんなふうな扱いを受けているとなれば、

旅人は、たとえ信仰心がなくても、

「ここは安心できる町だ」

と思うのではないだろうか。





学級の仲間にとって、Sくんは、お地蔵様のような子でありましょう。

Sくんに、無理やりに、なにかをさせることはできないですから。



そのSくんが、安心して、教室でくつろいでいるときは、

他の子も、無条件に、教室が安心できる空間になっている。

Sくんがそこに、にこにこと佇んでいるだけで、

あたりを、「安心」という空気が、あったかく包み込んでいる。



ぼくは幸せだあ



Sくんが、そんな顔をしているように見えるときは、

教室の中の、どの子も、

ぼくだって幸せや

と思っていると思う。



Sくんの目が落ち着かないとき、

それは、担任の先生が、Sくんを、落ち着かない目で見ている時で、

Sくんの目が落ち着いているときは、きまって、

担任の先生が、落ち着いてSくんを見ている時だ。



Sくんの目は、

「自分がどう見られているか」

を、正直に示している。




この人は、ぼくに危害を加えない。



Sくんが、そう思っていることが、

周囲のだれもに、感ぜられる。



そうすると、いかにも、

ここは平和の砦だ、

ということを、みんなが思い出す、という仕組みらしい。



Sくんが「世の光だ」ということが、このことからも、よく分かるネ。

ojizousan