叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

ほめない、というスキル




ほめる、ということについて、これまでも幾度となく考えてきた。

ところが最近、ほめない、という選択肢を選ぶことがあるな、と思うようになった。

あっ、と思う。
これはほめるチャンス!
ところが、ここで、ほめない。
ほめないで、スルーする。
こうしたことも、学級のいろいろな事情の中で、起こりうる。


私語の多い、やんちゃくんがいた。

そうじはほとんど、いい加減に済ませているタイプ。
授業中も、身体がいつの間にか、ナナメを向いている。
そのままだと隣の子にちょっかいをかけるんじゃないかな、と思っていると、案の定、となりの子の消しゴムをうばって、細長いけしカスを作成している。
となりの子は、いやそうな顔をしながら、取り返そうとしている。

そんな場面の多い子。

授業中も、
「あ、集中していない子がいるな」
という程度の声かけでは動かない。
「あと2人、こちらを見ていない子がいますね」
くらいでも、ダメ。

こら、○○くん。こちらを見ていません。
向きなさい。

これでも、ふてぶてしく、教科書も出さないで頬杖をついているタイプ。

こんな子が、連絡帳を書くときにサッと書く準備をしている場面を見ると、つい、

「あ!!!!最大のチャンスが訪れた!!ほ、ほめよう!今、ほめよう!!!」

と感涙にむせびながら、ほめてしまう。

ところが、そのほめる勢いというのか、私の側にある思いが重すぎて、声がうわずる。

「おお!○○くん、きちんと連絡帳を出しているね!早い!かしこい!」

ところが、このほめ方が、なんとも間が悪いのだ。
要するに、ほめるレベルがかなり低い。
だって、周囲の子はこんなことくらいでは、ほとんどほめられない。
学級の中で当たり前のレベルの行動を、○○くんだけは、そのレベル変更をしたうえでほめているわけだから、周囲の視線もなんとなく、しらけてくる。

「え、○○くんって、あんなことで先生に一生懸命ほめられてるんだ」

これはだれも声に出さないが、なんとなく学級の空気としてただよってくるのが分かる。
すると、それを当の本人である、○○くんも、感ずるようなのである。

「わざとらしいほめ方、せんどいて」

というような顔をする。



なので、こういう場合は、ほめてはいけないのだ。
スルーするべきなのである。
○○くんのような、やんちゃくんを、ほめなければいけない、と強く思っているから、いざほめる場面になると緊張してしまって、自然にほめることができない。また、一週間のうち、一日くらいしか、ほめる場面を見ない。だから、

「○○くんをほめなければ、ほめなければ・・・」

という教師、こちら側の強い思いとは裏腹に、ほめる場面はほとんどない。
ほとんどないから、ますます「ほめなければならない」という呪縛が強まっていく。
教師の側に、切迫感、義務感が強く増してきて、だんだんと○○くんを見る目線のピントがずれてくるのだ。

○○くんをほめたい、というアディクション、癖、強迫観念、ニコチン中毒にも似た症状が出始める。(大げさだが)


なにごとも、やりすぎはよくない。


つまり、○○くんとの人間関係、信頼関係は、こういう具合に、教師が自然の感情を失って、なにかのアディクション傾向をもって接する上には、ちっとも構築されていかないのだ。
関係をつくりたかったら、

○○くんをなんとかしてほめなければ!!!

という強迫、中毒症状から自由に解き放たれたときに、徐々に、一つずつ、関係をつくってゆくしかないのであろう。