連休は子どもとお絵かき
スケッチブックを片手に、息子と絵描き。
近くの川へ。
水車小屋がある。
先日来の大雨で、水がにごっている。
だが、今日は晴れて、太陽の光がふりそそぐ。
水面が光って、きれいに見える。
水は、緑に見える。
これをメインに描こうと思う。
鉛筆で下書き、と思ったが、めんどうくさい。
そのまま、パレットの上で混色し、適当に水をまぜて、描いてみる。
「水、水色じゃないね」
息子が言う。
水色を描くと、絵らしくなるが、事実とはちがってくる。
事実に沿って描こうとすると、水が、緑色になってしまう。
事実は緑でも、
「水色で描こうよ。頭の中のイメージを。目の前の景色はヒント。頭の中のモノを描こうよ。」
と言って、水色をチューブからひねりだした。
息子は、安心して描き始めた。
それでいいのだ。
頭の中の世界を描こう。その方がおもしろい。写真じゃないもの。
新しい絵の会では、見たとおり描こう、ということでやっていた。
子どもは素直に事実にしたがうしかなくなる。
それはそれでいい絵になるし、
「見たとおり描こうとしてがんばったね」
という講評をいただいて、よかった。
でも、それだけがよさ、ではない。
絵を戸外で描く。
この気持ちよさを最初に感じたい。
頭の中のものを、ズバッと白いスケッチブックに描く方が、落書きにちかい。気楽だ。なによりも、たのしいし、おもしろい。
息子は、妙な蜂だかアブだかが目の前に飛んできたので、それも丹念に描いていた。
とちゅうでヘリコプターの音がして、空を飛んで行った。
それを見つけると、
「あ、ヘリコプターも描いておこう」
と言って、描いていた。
それは事実とは異なる高度に描かれ、もう少しで人物の額にぶちあたる高さに描かれたが、息子はもうすっかり、絵を描くことを味わっているようすであった。
印象派でいいじゃん。悪口からスタートした印象派だって、今や世界中で評価されてんだもの。額の高さにヘリが飛んでいたって、いいではないか。
2時間ほどで、すっかり描き上げた。
さすがに直射日光の下にいると暑いので、大きな木の下で描く。
適度に日射しがやわらいで、快適にすごせた。
もってきたポリタンクの水でふでを洗い、塩だけのおにぎりを2つ食べた。
だれもいない。
お茶を飲んでいると、目の前に、カヌーの人が2組、通り過ぎた。
「あー、カヌーの人、描けばよかった」
もう筆もパレットも、しまってしまった。
描きたい気持ちが湧き出てくるのが本当。
だとしたら、どんな声かけが、子どもにとって、いいと言えるのだろう。
自宅から30分ほどの場所。
国道から少し歩いて入っただけの場所なのに、人のいない空間になっている。
そして、カモがおよぎ、カヌーが通り過ぎ、カラスアゲハと芋虫とミツバチが訪れた。
「行こうぜ」
帰ろうとすると、それまで黙っていた息子がぽつりと、
「マクドナルドが食べたい」
途中に、店があったらしい。
この年になると、まったくハンバーガーなど食べたくなくなるが、子どもはちがうようだ。
「ポテトがいい」
お目当ては、ポテトらしい。
空を見上げると、薄い水色。
遠くには山。
川の音、水の音。
まあ、たまにはマックでもいいか。