叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

自分で勝手に決めてしまう子 その2


前号での記事に、反応してくださる職場の方がいたので、つづきを。

大事なことは大人が決める。

これが、インプットされていない発達障害の子について。

(というか、クラスのさまざまな子。やんちゃくんもふくめて)

たとえば、教卓の上のものは、先生のもの。
これを勝手にさわるのは、いけないこと。
これは、4月の段階で伝えておいてある。
このくらいは当然すぎるほどで、ほぼ全国の小学生のほとんどの先生が、4月にはこれを言っていると推測する。

さて、私も例にもれず、これを伝えている。

ところが、運動会の終わる魔の10月ごろから、だんだんと、この禁をやぶる子が出てくる。

これが、チャンスである。
どんな授業が予定されていたって、その事象が起きたとたんに、バシッとやっておくことがある。

これは、年間を通じて仕掛けていることだから、1年間のどこで起きるかわからない。もしかしたら、5月かもしれないし、2月かもしれない。どこでも、網をはっておいて、子どもがいったん、そう行動したら、とたんに教師は弾かれたように、こう行動する。


1)ひとのものは勝手に使わない

これをインプットする。
泥棒と同じだ、ということ。

その代わり、○○を借りたいです、○○を見せてほしいです、○○を貸してください、というような、モデルとなる言い方を学習させる。

2)許可を得てはじめてもらえる

「借ります」と言ったのだから、とばかりに返事を聞かずに取ろうとしたら、子どもの手を止めて、もどさせる。

「これは、返事を聞いてからだよ。今日は、いきなりだったから、先生は貸したくなくなりました。先生の都合や先生の気持ちを聞かない人には貸せません。明日、やりなおしするのはかまいません」

これは、明日でなくてもいい。給食の後の休み時間になったら、もう一回やりなおしです、でもいい。

そして、ここが大切。
明日、もう一度、思い出したように子どもがくる。
そして、

「先生、貸してください」

今度は、お返事を聞く、という顔をしている。
そして、当然、いいことをしたから、先生の言うことを守ったから、貸してもらえる、とうずうずしている。

そこで、つきはなすのだ。(いじわるだな)

「先生が気に入っているものだから、(もしくは)先生が大事にしているので、他の人にはさわってほしくありません。使わせてあげるかどうか、見せてあげるかどうか、それはあなたが決めるのではなく、先生のモノなんだから、先生が決めます。だから、今日はあげられません」

子どもは、必ず、先生を非難します。

「えーーーーー!!!ひきょう!!!昨日、貸してくれるって言ったじゃん!!」

そんなことは言っていないのに、その子の頭の中では、「貸してくれると言った」というふうに、変化してしまっている。

ここで、売られたケンカを買いません。
すましています。この状況を楽しみます。

こっちは、いろいろしゃべりません。
一点張り。

「あなたが決めるのではなく、先生のものだから、先生が決めます。許可が要るんですよ。(笑顔)どうしようかな♪」

子どもがくいさがり、「ひきょう!ひきょう!先生、うそついた!」
とさわいでも、涼しい顔をしています。

「許可しようかな(笑顔)、どっしよっかな♪」

これがチャンス。許可、という言葉をインプットする。
許可、という言葉が、その子の脳裏にしみわたるまで、くりかえします。

黒板に許可、という字を書いて、

「許可するかしないか・・・、ああ、それが問題だ!」

と芝居じみたセリフをいって、悩ましげに窓の外を眺め、

「ひきょう!ひきょう!」

というコールに、まともに取り合いません。

そのうちに、授業がはじまったら、引き下がります。
(もしここでも引き下がらないようであったら、クラス中を巻き込む手もありますが、そこまでいったことはこれまでありません)


もっとまともな対応の方法もあるのでしょうね・・・
書いていて、こんな対応しかとれない自分のレベルの低さを思いますが、ともあれ、どうしたらこうやって、勝手に決定してもよいと勘違いしている子を、指導すればいいのでしょう・・・。