叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

先生だって話してたじゃん!(逆切れの高学年女子に対応する)


授業中に、

「本当にすみません、○○先生、授業中、本当に申し訳ない」

という感じで、他の先生がドアをノックされ、話をされることがある。
まあ、授業中だろうが何だろうが、保護者からの問い合わせだったり、地区の公民館にかかわる授業に担任が関わっている場合だったりと、ともかくも急用がある、ということがある。

本当はそんなもの、地区の公民館の用事だろうが、

「今は授業中で確認できません」

と突っぱねるべきである。
(ということになっている。だって授業は法律で定められているからね)


でもまあ、そこは理屈だけじゃいけないよ、地域の市民の皆さんや保護者とも、うまく合わせて行かなければ、ということで、対応をする。

ところが、それが高学年の女子ともなると、こういったことさえもが反抗する材料になるのだから恐ろしい。

教師が、授業中に訪れた他の先生との話を終える。
その直後、授業中にも関わらず、関係のないおしゃべりをするA子に注意をすると、

「だって、先生だって話をしてたじゃん!授業中に!!さっき!○○先生と!」


・・・天才だと思います。
きっと、能力がとても高い子なんだろう。
理由にならないようなことを理由にして、自分を正当化する技術に長けているのだ。

きっとお家ではお母さんをはじめ、みんな苦労しているのではないかと思います。


さあ、これにどう対応するのでしょう。

ともかく、注意されるべきことをしたにも関わらず、

「わたしは悪いことなんかしていない!」

という感じですからねえ。
これにひるんでしまったら、

「大人はだませるものだなあ」

と誤学習させてしまいますね。
不幸な女の子が生まれてしまいます。
これは見過ごすわけにいかない。
人生にしっぺ返しを喰らうであろう女性を一人、生み出してしまうかも。
ここで何か、歯止めをかけてあげる、というのが教師の使命でしょう。

こういう場合、きわめて、「同情的に」叱るのがコツ。

「こういうときは、こうするものなんだよ。一般的にね。あなたはわかっていないよね。その一般的にというのが分からないと、他の一般のことさえもわからなくなるんだよ。そうして、人生や社会の一般が分からないと、たいへんに苦労をするものなのだ」

同情的でしょう。
なにがなにやら分からないですが、言うことは、上記のようなことです。

では、たとえば今回のような場合は、どう対応するのでしょうか。

「話、というのは、先生が仕事上必要であるために話をしているようなことを言うのだ。きみのはただの、雑音だ。話だというのなら、授業に関係のある話であるべきだ。そういうことなら百歩譲ってもう一度、話を聞こうじゃないか」

「・・・(小声でブツブツ)」

「いいかな。さらに言えば、言うタイミングを考えるのが話なんだ。聞く人の立場や都合も分かって話すわけだ。授業中に授業以外のことで聞きたくない人にまで聞こえる声でしゃべっているのとはまったくべつのものだ。話と雑音は違うのだ。わかったかな」


こんなふうに、分けて分類したり、定義付けをしたり、区切ったり、とするのが有効か。
まあ、話の中身よりも、教師が毅然として、何か言い返せるのかが大事。
また、頭のいい子やわけのわかっている子が、なるほどと納得する中身であれば、尚良しというべきだろう。

(しかしまあ、こんなのはひどい対処療法で、一番いいのは、こういう状況にならないような学級づくりをすることなのでしょう。児童どうしの親密な人間関係をつくっていくとか。仲間意識を育てていくとか・・・。
でもまあ、実際にはこんなふうなことを毎日考えながら、その日を凌いでいるわけで・・・おもしろい授業なら私語もない、と他の先生に言われたこともあります。そのとおり。その境地に立ちたくて、授業技術を向上させていかねばなりません)