ぎゅー!の宿題
生活科で、保護者のお母様たちにお手紙を書きました。
生まれてから成長し、大きくなってきた自分たち。
その成長を支えてくれていた、親、周囲の大人。
自分が今まで成長するまでに、どれだけの世話をしてもらってきたか。
一度、考えてみる、という単元があるのです。(生活科)
お母様たちに、
「生まれたころのことを、ぜひ語ってください。名前の由来、病院で生まれるとき、ご家族はどんなことを思っていましたか。何をして待っていらっしゃったのですか。生まれてから、どんな思いでこの子を育ててきましたか。エピソードはありますか」
上記に限らず、書いていただいた。
すると、涙の出るようなメッセージ集が寄せられた。
一人、便せん1枚。
中には4枚くださる方もいらっしゃいました。
それをクラスの人数分集めると、一冊の本のようになりました。
それを順に読んでいくと、クラスの中に、なんだか不思議なオーラが立ちこめはじめ、
なんだかじーん、と。
生まれる前、どれだけ誕生を心待ちにしたのか。
生まれた瞬間、生まれてきてくれてありがとう、と泣いてしまいました、とか。
おじいちゃんもおばあちゃんも、みんなで誕生をよろこぶ姿とか。
あなたが宝物である、ということを、これでもか、と書いてくれていました。
うれしいですなあ~。
子どもたちも、本当に満足そうな顔になり、素直な表情で、みんなうっとりして聞いていました。
一人ずつ、お母さんからのメッセージ、手紙を読む。
読み終わると、その子は静かな笑顔。
それを見て、クラス中のみんなも、なんだかニコニコ。
だれもしゃべる人はいません。
言葉にできないのです。
ただ私の声がひびき、みんながそれを感じつつ、ニコニコしている不思議な時間でした。
さて、その日の宿題。
「お母さんに、ぎゅーっとだっこしてもらってきなさい」
「えー!!!」
と大歓声ですが、ものすごくやる気です。
「えーー、なんて言ったらいいの?」
「しゅくだいだって、言えば?」
お互いに、いろいろと言い合っています。
翌日、いろいろな反応がありました。
「やってもらった~」
「やってもらったけど、すぐに妹が来て、ひきはがされた~」
「弟に見られないように、隠れてやった~」
「お母さん忙しくて、あとでって言われてそのまま忘れられた~」
「ぼく、いつもやってもらってるし、お母さんが勝手にやってくるから・・・」
おもしろい。
さらに次の日。
その翌日の予定を言うとき、わたしはもういいかな、と思っていたのですが、クラスほとんど全員が声を合わせて、
「先生!ぎゅーのしゅくだいは???」
「え?一回だけじゃないの?」
「えーーー!またやりたーい!!」
話はこれで終わりません。
先ほどの反応の中の、
「ぼく、いつもやってもらってるし・・・」
と言った子は、LDの子です。
不器用で、多くのことが、他の子とは同じにはできません。
教室の前の方に席を置いて、一つひとつ、指示を出すごとにその子の近くで確認をしている。
音読も、読みながらずれてくるので、指の先で、ときおり示してやる必要があります。
その子、でも、劣等感らしいものがない。
ぼくはできない、という感じはあるのだろうけど、それがとても薄い子です。
明るいし、前向きに課題に取り組もうとするし、まじめだから、成績は良いです。
聞いたことをまじめにやろうとする。
LDとは思えない。
でも、前の学年では、一番できなかった。
だから、担任の先生からの引き継ぎで、フォローしてくださいね、とは言われていた。
しかし、安定しているのです。
情緒が非常に安定している。
そのひみつが、わかった気がしました。
きっと、お母さんの愛情がたっぷりなのでしょう。ぎゅー、を、宿題にださずとも、お母さんが毎日やってくださっているのです。