授業参観にみる、スパイ活動のすべて
兄(3年生)の授業参観です。
楽しみでなりません。
小学校の教員は、他の先生の授業を見ると、たいてい、レポートを書かされます。
これが、とても勉強になって大変ありがたいのですが、一方で
「たいへんだな」
という思いも正直ありまして。
ところが、息子の授業参観は、その後のレポート提出がない。
いちばん、世の中で安心してみていられる授業であります。
ところが、安心ばかりもしていられないのでして・・・
3年生の算数。
内容は、「円」の勉強でした。
単元の導入ということで、円の中心を理解するために、コマをつくろう、というのです。
担任の女性の先生が、
「いいですか、今日は、みんなでコマをつくりましょうね」
といった瞬間、わたしには、一瞬のうちに、昨年のわたしの授業展開のことが脳裏によみがえってまいりました。
一度やった授業は、覚えているものです。
プロ野球の選手が、そうだってね。
過去の試合の、7回表の、第何球目に、カーブを投げたか直球を投げたか、と知っていた、という番組をみたことがあります。
あれに近い。
わたしも、実は、3年生の「円」の授業で、コマをつくりましたから。
覚えているのが当たり前です。まったくほんの数秒で、あれこれと思い出すことができました。
さて、ここから、わたしの観た、驚愕の授業参観がスタートするのです。
ある子が、
「先生、コンパスが使えますか」
と言いました。
先生は、当然、
「まだ今日は使いません」
と。
そうです。今日の授業の目的は、子どもたちに、円の「中心」という概念をつかませるのが「ねらい」です。
円の中心、というのが、どうして大事になってくるのか、あれこれと子どもたちは試行錯誤しながら、よく回るコマをつくりながら、体感していくわけです。
どうしても、円の中心に、じくをつけなければ、ぶれてしまって、回転スピードが上がらない。
良く回らないコマになってしまう。
良く回るコマは、円の中心に、じくがくる。
その円の中心を見つけるために、便利なのが、
「コンパスだ!」
となるわけです。
そういう学習を経てからコンパスを与えられると、みんな、宝物を手に入れたように、目をきらきらさせて、コンパスを手にすることができます。
そういう過程を経ないで、いきなり
「はい、便利な道具がありますよ。書いてごらんなさい」
では、なんともインパクトが薄いわけ。人生で、生まれてはじめてコンパスと出会うのですからネ・・・。
先生は、マス目のついた厚紙と、じくにするための、竹串を、子どもたちに配りました。
わたしは、まるで自分の授業をそのまま見ているような「デジャヴ感」に襲われて、目頭が熱くなる思いでいました。
ああ、こうやって、わたしも昨年、子どもたちに串をくばったものだ。
さて、子どもたちはコマを作り出した。
円の中心を見つけられる子なんて、フリーハンドではいないのが当たり前。
みんな、適当に厚紙をきって、適当に串をさして、適当に回している。
あいにく、まわらない。
すぐに止まってしまう。
大人たちは、その様子をみながら、なんとなく、ほんわかと微笑したり、くつろいだりしていた。
土曜日だったので、保護者にも、わりと父親がいる。
父親たちは、教室の横や後ろの壁にもたれかかったり、ランドセルのあるロッカーの前に直立したりしながら、子どもたちをずらりと取り巻いている。
子どもたちはその中で、懸命に「こま」をつくる。
わたしはそこで、一瞬、不思議なものをみた。
お化粧をバッチリきめた、ある若いお母様。
マスカラの効果を最大に発揮し、目の周りがかなり印象的になったそのお母様が、口をふしぎな感じで動かしているのだ。
音は、出ていない。
つまり、口パクだ。
「あ、口パクだ!」
そう思った瞬間、なんだかこの美形のお母様が、やり手の女スパイに見えてきた。
お母様の口は、こう動いていた。
「え・ん・の・ちゅ・う・し・ん」
何度か、お母様はその口パクを、繰り返された。
見ると、不自然な姿勢で後ろを振り向き、その指令を懸命に受取ろうとしている女の子がいた。
髪をしっかりと整えた、そのお上品な女の子は、なんどか、お母さんに、訊き返しているようだった。
「え?なに?わかんない」
という感じ。
そりゃそうだ。円の中心、なんて概念を、まだ覚えていないんだもの。
ありゃあ、あんなふうに、わが子のコマをうまくつくろうと、陰ながらの支援を行っている親がいるんだな、と思って、ちょっとほほえましく思った瞬間、わたしの目に、驚愕のスパイ行為が映りこんできた。
今度はまた別の、白いハンドバッグを抱えた方。
その年配の女性は、落ち着き払った様子で、ハンドバッグを裏に向けて、その硬い皮質のハンドバッグをホワイトボードのように使い、そこに指で、丸を書いたり、点を書いたりして、なんとか「円の中心に串を刺せ」ということを、伝えようとしていた。
さらに、口パク。
「ま・ん・な・か!」
お母さんは、それをするやいなや、また落ち着き払った様子で、すまし顔のまま、ハンドバッグを表に向けた。
金色の留め金具が、きらり、と光って見えた。
お母さんは、そのハンドバッグを使って子どもに指示を出す際、広くてわかりやすい裏面を向けるようだ。
わたしが、立て続けにこのスパイ行為を見てしまったため、ちょっとしばらくボーッとしていたところ、今度は反対側の壁に、あやしい動きを見つけた。
それは、今から作業場で仕事を始める、というようなニュアンスで、おそらく仕事着なのだろう、つなぎのような頑丈な服を着た、若いお父さんでありました。
土曜日だけど仕事があって、午前中だけ、すこし、様子を見に来たのだ、という感じ。
そのお父さんの手の先に、わたしの視線は吸い込まれていった。
お父さんの指先は、
はさみのチョキ
を出していた。
そして、そのチョキを、何度か繰り返した後、指の先で、こういうニュアンスを伝えていた。
「長くて細いものを、みじかく、ちょん切れ!」
つまり、先生の渡された竹串が、少し長めなので、それを適当な長さに、切ったほうがよい、ということなのだ。
よく回るコマにするために、長い軸のままでは、まわしにくい。
それを父親は、言葉にすることなく、あるいは他の誰にも分からないような方法で、息子にだけ伝えようとしたのだ。
わたしは、もうそんな犯行現場を連続してみてしまったものだから、今度はまよわず、一目散に自分の息子を見てみました。
すると、笑えることに、
息子と目が合いました。
息子は、円を切り取ったものの、やはり中心がずれていて、よく回らないで、苦労しているようでありました。
そこで、わたしは、自分が担任するクラスでやらせたように、まずは◇のコマをつくれ、と言いたくなりました。
なぜなら、先生の配っていた厚紙には正方形の細かいマス目がついているのですから、それをみて、真四角を切り取ることができます。
マス目のついた真四角なら、中心がかならず分かる。
どんな鈍感な子でも、真ん中をさがすために、マスの数を外側から数えて、ちょうど真ん中に、串をさすのです。
その◇を経験してから、円を切り取ると、
「せんせい、まんなかが知りたい」
という要求が出てきて、何度も定規ではかって真ん中(中心)をしらべはじめる子や、友達の串と、椅子の下でぶら下げているぞうきんのせんたくばさみを器用に使って、上手に円を書こうとする子などが出てきて、がぜん、教室が知的でおもしろくなってくるのです。
コンパスはなくとも、じくとえんぴつとひものような物があれば、円がかけて、さらに中心も分かる。
そういうことが、見えてくるわけね。
教室の中に、それを助けるような道具も、たくさんあることが見えてくる。
うちのクラスでは、安全ピンをつかって、上手に円を書いた子もいたし、タコ糸を使った子もいた。
そこで、わたしは、教室の真ん中から、けなげにも私の目を下から掬(すく)い上げるように見ているわたしの愚息に向かって、
「まず、四角のコマをつくれ!」
という指令を、口パクと指先のちょっとした運動で、うまく伝えることができました。
息子も口パクで、
「しかく?」
と聞いてきます。
わたしは、「そうだ、しかくだ!しかくをまずつくれ!」
と繰り返しました。
すると、息子はがぜん元気になり、猛烈な勢いで、四角を切り取り、そのままの救いがたいスピードで、適当な場所に串を刺しました。
のけぞるように体の力を失ったわたしは、隣で腕組みをしているお父さんに、思わず、
「作戦しっぱいです」
と言って、笑われてしまいました。
楽しみでなりません。
小学校の教員は、他の先生の授業を見ると、たいてい、レポートを書かされます。
これが、とても勉強になって大変ありがたいのですが、一方で
「たいへんだな」
という思いも正直ありまして。
ところが、息子の授業参観は、その後のレポート提出がない。
いちばん、世の中で安心してみていられる授業であります。
ところが、安心ばかりもしていられないのでして・・・
3年生の算数。
内容は、「円」の勉強でした。
単元の導入ということで、円の中心を理解するために、コマをつくろう、というのです。
担任の女性の先生が、
「いいですか、今日は、みんなでコマをつくりましょうね」
といった瞬間、わたしには、一瞬のうちに、昨年のわたしの授業展開のことが脳裏によみがえってまいりました。
一度やった授業は、覚えているものです。
プロ野球の選手が、そうだってね。
過去の試合の、7回表の、第何球目に、カーブを投げたか直球を投げたか、と知っていた、という番組をみたことがあります。
あれに近い。
わたしも、実は、3年生の「円」の授業で、コマをつくりましたから。
覚えているのが当たり前です。まったくほんの数秒で、あれこれと思い出すことができました。
さて、ここから、わたしの観た、驚愕の授業参観がスタートするのです。
ある子が、
「先生、コンパスが使えますか」
と言いました。
先生は、当然、
「まだ今日は使いません」
と。
そうです。今日の授業の目的は、子どもたちに、円の「中心」という概念をつかませるのが「ねらい」です。
円の中心、というのが、どうして大事になってくるのか、あれこれと子どもたちは試行錯誤しながら、よく回るコマをつくりながら、体感していくわけです。
どうしても、円の中心に、じくをつけなければ、ぶれてしまって、回転スピードが上がらない。
良く回らないコマになってしまう。
良く回るコマは、円の中心に、じくがくる。
その円の中心を見つけるために、便利なのが、
「コンパスだ!」
となるわけです。
そういう学習を経てからコンパスを与えられると、みんな、宝物を手に入れたように、目をきらきらさせて、コンパスを手にすることができます。
そういう過程を経ないで、いきなり
「はい、便利な道具がありますよ。書いてごらんなさい」
では、なんともインパクトが薄いわけ。人生で、生まれてはじめてコンパスと出会うのですからネ・・・。
先生は、マス目のついた厚紙と、じくにするための、竹串を、子どもたちに配りました。
わたしは、まるで自分の授業をそのまま見ているような「デジャヴ感」に襲われて、目頭が熱くなる思いでいました。
ああ、こうやって、わたしも昨年、子どもたちに串をくばったものだ。
さて、子どもたちはコマを作り出した。
円の中心を見つけられる子なんて、フリーハンドではいないのが当たり前。
みんな、適当に厚紙をきって、適当に串をさして、適当に回している。
あいにく、まわらない。
すぐに止まってしまう。
大人たちは、その様子をみながら、なんとなく、ほんわかと微笑したり、くつろいだりしていた。
土曜日だったので、保護者にも、わりと父親がいる。
父親たちは、教室の横や後ろの壁にもたれかかったり、ランドセルのあるロッカーの前に直立したりしながら、子どもたちをずらりと取り巻いている。
子どもたちはその中で、懸命に「こま」をつくる。
わたしはそこで、一瞬、不思議なものをみた。
お化粧をバッチリきめた、ある若いお母様。
マスカラの効果を最大に発揮し、目の周りがかなり印象的になったそのお母様が、口をふしぎな感じで動かしているのだ。
音は、出ていない。
つまり、口パクだ。
「あ、口パクだ!」
そう思った瞬間、なんだかこの美形のお母様が、やり手の女スパイに見えてきた。
お母様の口は、こう動いていた。
「え・ん・の・ちゅ・う・し・ん」
何度か、お母様はその口パクを、繰り返された。
見ると、不自然な姿勢で後ろを振り向き、その指令を懸命に受取ろうとしている女の子がいた。
髪をしっかりと整えた、そのお上品な女の子は、なんどか、お母さんに、訊き返しているようだった。
「え?なに?わかんない」
という感じ。
そりゃそうだ。円の中心、なんて概念を、まだ覚えていないんだもの。
ありゃあ、あんなふうに、わが子のコマをうまくつくろうと、陰ながらの支援を行っている親がいるんだな、と思って、ちょっとほほえましく思った瞬間、わたしの目に、驚愕のスパイ行為が映りこんできた。
今度はまた別の、白いハンドバッグを抱えた方。
その年配の女性は、落ち着き払った様子で、ハンドバッグを裏に向けて、その硬い皮質のハンドバッグをホワイトボードのように使い、そこに指で、丸を書いたり、点を書いたりして、なんとか「円の中心に串を刺せ」ということを、伝えようとしていた。
さらに、口パク。
「ま・ん・な・か!」
お母さんは、それをするやいなや、また落ち着き払った様子で、すまし顔のまま、ハンドバッグを表に向けた。
金色の留め金具が、きらり、と光って見えた。
お母さんは、そのハンドバッグを使って子どもに指示を出す際、広くてわかりやすい裏面を向けるようだ。
わたしが、立て続けにこのスパイ行為を見てしまったため、ちょっとしばらくボーッとしていたところ、今度は反対側の壁に、あやしい動きを見つけた。
それは、今から作業場で仕事を始める、というようなニュアンスで、おそらく仕事着なのだろう、つなぎのような頑丈な服を着た、若いお父さんでありました。
土曜日だけど仕事があって、午前中だけ、すこし、様子を見に来たのだ、という感じ。
そのお父さんの手の先に、わたしの視線は吸い込まれていった。
お父さんの指先は、
はさみのチョキ
を出していた。
そして、そのチョキを、何度か繰り返した後、指の先で、こういうニュアンスを伝えていた。
「長くて細いものを、みじかく、ちょん切れ!」
つまり、先生の渡された竹串が、少し長めなので、それを適当な長さに、切ったほうがよい、ということなのだ。
よく回るコマにするために、長い軸のままでは、まわしにくい。
それを父親は、言葉にすることなく、あるいは他の誰にも分からないような方法で、息子にだけ伝えようとしたのだ。
わたしは、もうそんな犯行現場を連続してみてしまったものだから、今度はまよわず、一目散に自分の息子を見てみました。
すると、笑えることに、
息子と目が合いました。
息子は、円を切り取ったものの、やはり中心がずれていて、よく回らないで、苦労しているようでありました。
そこで、わたしは、自分が担任するクラスでやらせたように、まずは◇のコマをつくれ、と言いたくなりました。
なぜなら、先生の配っていた厚紙には正方形の細かいマス目がついているのですから、それをみて、真四角を切り取ることができます。
マス目のついた真四角なら、中心がかならず分かる。
どんな鈍感な子でも、真ん中をさがすために、マスの数を外側から数えて、ちょうど真ん中に、串をさすのです。
その◇を経験してから、円を切り取ると、
「せんせい、まんなかが知りたい」
という要求が出てきて、何度も定規ではかって真ん中(中心)をしらべはじめる子や、友達の串と、椅子の下でぶら下げているぞうきんのせんたくばさみを器用に使って、上手に円を書こうとする子などが出てきて、がぜん、教室が知的でおもしろくなってくるのです。
コンパスはなくとも、じくとえんぴつとひものような物があれば、円がかけて、さらに中心も分かる。
そういうことが、見えてくるわけね。
教室の中に、それを助けるような道具も、たくさんあることが見えてくる。
うちのクラスでは、安全ピンをつかって、上手に円を書いた子もいたし、タコ糸を使った子もいた。
そこで、わたしは、教室の真ん中から、けなげにも私の目を下から掬(すく)い上げるように見ているわたしの愚息に向かって、
「まず、四角のコマをつくれ!」
という指令を、口パクと指先のちょっとした運動で、うまく伝えることができました。
息子も口パクで、
「しかく?」
と聞いてきます。
わたしは、「そうだ、しかくだ!しかくをまずつくれ!」
と繰り返しました。
すると、息子はがぜん元気になり、猛烈な勢いで、四角を切り取り、そのままの救いがたいスピードで、適当な場所に串を刺しました。
のけぞるように体の力を失ったわたしは、隣で腕組みをしているお父さんに、思わず、
「作戦しっぱいです」
と言って、笑われてしまいました。