叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

<鬱の人>がいちばん明るい

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わたしは専門家ではない。
だから、<鬱>について、何も話せることなど無い。
それを前提に聞いてね。


今日、ふと、

<鬱の人>がいちばん明るい

というメッセージが聞こえた。



まあ、こんなふうに書くと変ですが、
頭の中に、急に、ある考えが、ふとよぎることって、あるでしょう。
それが、あたかも前後の脈絡なしに、だしぬけに、<よぎる>ために、個人的な印象としては、


どっかから、メッセージが聞こえてきた!


というように、感じることもある、という程度のこと。
わたし、よく、そういう目に遭う。


ところで、

<鬱の人>がいちばん明るい!

というメッセージが聞こえたところで、
頭の半分は、別人のように、こう反応していた。


「なんじゃ、それ」



これも、よく、ある。


自分でも不思議。
だって、メッセージは自分の頭の中から湧いてきた考えなのだ。
ということは、最低、自分ではその理由やバックボーンが分かっている、はず。

「それはこうこう、こういうわけで、こういう考えの先に出てきたので・・・」

というように、まことしやかに、自分にだけでも説明ができるはず、と思う。

ところが、自分の中に、突如として、電光のごとく閃くメッセージなのであるから、自分でも、それが急(きゅう)すぎて、わけがわからないときがある。

「え?え、それ、なに?どういうこと?」

というように、自分で、自分の頭の中のピラメキーノをつかまえて、反芻しながら、じっくり味わってみないことには、よく分からない。



今回も、そういう羽目になった。

<鬱の人>がいちばん明るい


メッセージ・・・が聞こえてきたものの、意味が、さっぱり分からない。

どういうことだろ?・・・と自問する。



まあ、理由やワケがあるわけがなく、なんの説明も見つからないまま、これは終わる。

つまり、それは、確証のあること、ではないのであります。
「予感」にすぎず、
「そう思いたい」ということであって、
なにか、そんな気がしてならない、というだけのこと。


同じように、わたくしには、「こんな気がしてならない」というのが、たくさんある。
告白すると、



○仕事はできないほうがいい
○努力はしないほうがいい
○できるだけ無能なほうがいい
○まちがった方がいい
○できるだけ、達成せず、成果がでず、わくわくしないほうがいい
○しゃべらないのがいい
○みんなでなにかをやらないほうがいい
○反応しないのがいい
○夢は、ないのがいい
○感動しないのが、いちばんいい


これ、いつの間にか、自分のなかに届いた、メッセージなんだよね。



なんだろ、これ。




でもこれ・・・、すべて、今の価値観と、正反対だよ。

これだけみると、なにもしないのが、イイってことになるし・・・。

だから、もう、話し相手をさがすのがタイヘン。




で、こんな先生が、学級経営をしていると、

あら不思議、


「このクラスで、ずっといたい」

というクラスが、出来上がるってわけ。




もうすぐ、お別れの季節で、なにかのたびに、

「あーあ、また来年もARAMA先生がいいなあ~」

とか、

「2年生もぜったいARAMA先生だよねえ」


とか、

「お母さんが、校長先生にお願いするって言ってた」


とか、

そういう子が、周りに集まってくる。



これ、ぜったい、わたしが、<なにもしてないから>だよ!、と思う。


なんにもしないけど、ヘーキ!!


わっかるっかな~・・・

鬱が明るい