叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

自分のことが、好きになりたいときは

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子どもの、あまりにも無垢な、あまりにも無欲な、友達への愛情を垣間見た時。


自分の友達だから、ということでそうしたわけでもないような気がする。

もう、ふだんの付き合いがどうのこうの、ということさえも超えている。

ふと、隣人の様子を見て、思わず・・・ということ。

だから、「友情」というより、「愛情」という言葉の方が、雰囲気としてぴったり合う。


ともかく、みんな、その子のことが、好きなんだろう、と思う。

彼は、なんの特技もない、なんのとりえもない、ヒーローでもなければ、芸人でもない。

特別なものはなにひとつない、ただの、クラスメートにすぎない。

だが、みんな、その子のことが、好きなのだ。

理由は・・・おそらく、なにもないだろう、と思う。


だって、ほんとうに、ほんとうに、何もとりえのない子なんだ。

唯一の取り柄らしきもの。

その子は、他の子のやることに、あまり文句を言わない。

ま、ちょっと、お人よしの、ボーットしている子、です。



目立たぬ、ひたすらまじめな、ある程度おっちょこちょいな、かなり雑な字を書く、

その男の子のことを、

みんな、なんとも・・・

見ているだけで、すてきな気分になるようで・・・・


この間だって、理科で使う植木鉢を運んでいたら、土をいっぱい教室の中にこぼしちまった。

でも、瞬く間に、3,4人の子が寄ってきて、手に塵取りやほうきなんぞもって、きれいにしてしまう。

だれも、こぼした彼を、責めないの。



で、その子、ありがとうも、なにもないの。


ちょっと、小声で言ってたのかもしれないけど。・・・その程度。



要するに、あまり、器用でもない。

算数だってよく、かけ算の九九から間違えているくらいだもの。

でも、小学校の教室では、大の成功者です。

これだけ好かれていたら、成功者でしょう。
なにやっても、困らない人生を、送っておられます。今のところ。

つまり、苦労知らずね。これを幸福な人生と言わずして、何と言おうか。




こういうタイプの子がいたら、この子の周囲の子を、よく見てみよう。

とくに、この子のことを好きになる子にご注目。

おそらく、この子の魅力を、きちんと把握し、感じられる子って、

自分のことが好きな子なんだ、と思う。





で、ここから。



ふつう、自分のことを好きになろうと思うと、すぐには、どうしたらいいか、分からないよね。

自分のことを受け入れよう、と努力してみても、自分の気に入らない面を無理して好きにならなきゃいけないような気がして、なんだかうまくいかない。

そういう場合、こういう、いわゆる「なにもとりえのない人」を、好きになってみることが、起爆剤になり得る。




一番身近だけど一番わからないのが、自分。
自分を知ろうとしたら、きちんとしたシステムと協力者が要る。
これはなかなか、簡単にはできない。
手間と時間がかかりすぎる。


だから、方向を変えてみよう。

簡単で手軽なのは、ぼうっとしたクラスメートに目を向けること。
そして、その子を好きになるのがいい。

だって、目の前で、生きてて動いているんだから!

友達に興味を持って、関心を向けて。

よく見てみることだって、やれる。

一緒に何かをやろうとすることだって、できる。




自分の人間関係、友達関係の間柄、謙虚に、心の内を、しらべてみようとすること。

解決することがたくさんある。









ありを描いてごらんなさい ↓

ありって、こんなだっけ?