【小学生の心理学】見たい、知りたい、心の動き
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「道徳」が教科になるという。
道徳で、どうしてもやりたいことがある。
それは、小学生の心理学、である。
子どもは、大人と違って、それほど混乱していないために、心を見ることができるように思う。
透きとおった泉の水を、ちょんとつついた波紋のように、心が動く。
どんな動きなのか。
息をとめ、耳を澄まして、観察する。
早い方がいい。
大人に近づくにつれて、難しくなっていく。
なぜ大人が考えることができないかというと、すでに頭の中が、かなりの程度、いっぱいで飽和しているからだろう。
そしてまた、人間とはこういうもの、思考とは、感情とは、という凝り固まったものが多いし、もう何十年もそうやって考えてきたんだから、それが当たり前だ、というふうにしか、考えることができないからだと思う。
2,3年生くらいが、ちょうどいい。
仲間と喧嘩したときや、お母さんと喧嘩したときのことについて話し合ったとき。
大好きなお母さんと喧嘩した時のことを話しだすと、これはもう、止まらないくらいに出てくる、出てくる!
なぜお母さんがひどいといえるのか、わたしの腹が立つのは、どうしてなのか、本当に顔を赤くして、語りだす。
内面を知ることが、すべての道徳学習の下地になるんだろう。
道徳も細分化されている。
「愛国心」とか「良きふるさと」とか「郷土愛」とか、「礼儀」とか「勤勉」、「勇気」とか。
「友情」「信頼」「感謝」「自然愛」、「公徳心」「家庭愛」「公共の精神」「自己責任」・・・。
細分化されていることが重要なのではない。
道徳の目的は、こういったものの、すべてのもとになる、「内面の資質」を育てる、とされている。
内面、ということであるから、外付け、ではだめなんだろう。
これはこういうこと、こう考えなさい、というふうに、教えるようでは、だめなんだろう。
一つのことでいいから、本当の本当に、自分の心を、きちんと、しっかりと観察すること。
これしかない、と思う。
そこで、
「なんで、きらいなのか」
を、シッカリみること。
これが突破口になる。
「道徳」が教科になるという。
道徳で、どうしてもやりたいことがある。
それは、小学生の心理学、である。
子どもは、大人と違って、それほど混乱していないために、心を見ることができるように思う。
透きとおった泉の水を、ちょんとつついた波紋のように、心が動く。
どんな動きなのか。
息をとめ、耳を澄まして、観察する。
早い方がいい。
大人に近づくにつれて、難しくなっていく。
なぜ大人が考えることができないかというと、すでに頭の中が、かなりの程度、いっぱいで飽和しているからだろう。
そしてまた、人間とはこういうもの、思考とは、感情とは、という凝り固まったものが多いし、もう何十年もそうやって考えてきたんだから、それが当たり前だ、というふうにしか、考えることができないからだと思う。
2,3年生くらいが、ちょうどいい。
仲間と喧嘩したときや、お母さんと喧嘩したときのことについて話し合ったとき。
大好きなお母さんと喧嘩した時のことを話しだすと、これはもう、止まらないくらいに出てくる、出てくる!
なぜお母さんがひどいといえるのか、わたしの腹が立つのは、どうしてなのか、本当に顔を赤くして、語りだす。
内面を知ることが、すべての道徳学習の下地になるんだろう。
道徳も細分化されている。
「愛国心」とか「良きふるさと」とか「郷土愛」とか、「礼儀」とか「勤勉」、「勇気」とか。
「友情」「信頼」「感謝」「自然愛」、「公徳心」「家庭愛」「公共の精神」「自己責任」・・・。
細分化されていることが重要なのではない。
道徳の目的は、こういったものの、すべてのもとになる、「内面の資質」を育てる、とされている。
内面、ということであるから、外付け、ではだめなんだろう。
これはこういうこと、こう考えなさい、というふうに、教えるようでは、だめなんだろう。
一つのことでいいから、本当の本当に、自分の心を、きちんと、しっかりと観察すること。
これしかない、と思う。
そこで、
「なんで、きらいなのか」
を、シッカリみること。
これが突破口になる。