叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

児童会選挙に立候補する!!

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年末に国の選挙があったばかりというのに、今度は児童会の選挙で頭を悩ませなければならない。

で、実に、「選挙」というものに、子どもは人生のうちで初めて!!出会うわけで。

「どうする?立候補する?」

と聞くだけで、テンションがMAX。

え、え、どーいうこと??おれが立候補??

子どもの目つきが、変わってくるのであります。

たしかに、興奮するイベントにちがいない。

「きよき一票を、よろしくお願いしまーす」


と叫ぶこと自体が、とてもとても、コーフンやまない、アドレナリン大解放、という出来事だ。


おそらく、日本の政治家の、どぶ板的運動、あいさつ、握手、という基本的な活動・方法は、小学校時代の、こうした児童会選挙のやり方からスタートしているのだろう。


最近、ネット選挙が始まったから、雰囲気も変わっていくかもしれない。
政策の比較サイトなどができて、自分の主義や思いを打ち込んだり、矢印を選んだりしていくと、
顔写真がバーンと表示されて、

「あなたの主張にもっとも近い候補者は、この方です!」

というふうに紹介される。

そんなサイトが近くできると思われるが、浮動票とよばれる一定の層が、そういったサイトを積極的に利用するようになると、国会や地方議会の選挙も、こうした小学校的などぶ板選挙の雰囲気から、ちょっとずつ変化していくのかもしれない。

ところが、そういう具合に、画面を見ながら、ボタンをポチポチ選んでいくと、まるでインターネットで買い物をしているのと、そう変わらない感覚に陥ることでありましょう。

「どっちのデザインがいいかしら」

と選ぶ感覚になるね。

これは、ぶっちゃけ、

「どーでもいいな、どっちでもな」

という感覚に近くなって、次第にマヒしてくるでありましょうな。

そこには対話の実感がないから、結局のところ、あまり、「我々のような立場の者たちが、投票したくなる人」を選んだ、という実感は、薄いままなのでしょう。

この感覚の薄さがある限り、必ずしも、インターネット活用で、民主化が進んだ、とは言えない。
どぶ板選挙の方がむしろ、民主化に近いかもしれないね。

「ルンペンの話も、老婆の話も、子どもの話も、みんな聴く政治家」が、生まれてくることが最も民主的な出来事なのであって、

おそらく、これだけみても、戦後、新しい日本国憲法ができたころからしたら、それほど政治的な意味合いで、民主化が進んだわけでもないのだろうなあ・・・。

小学校で、どんな<選挙>をやり、どんな<活動>をさせ、どんな<投票>を、どんな<票の集計>を、させるか。

これは、けっこう、大事なことだと思うんだけどね。

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