叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

『選活』(せんかつ)について

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4月となり、職場にも新しい顔ぶれが登場した。
職員室が、なにかしら、華やぐネ。
ここには、
新しい人間関係が結ばれ始めた楽しさ、嬉しさ
がある。


夜、歓迎会で、先生になりたて、ほやほやの同僚(青年)と話をした。
すると、彼が、

「いや、ぼく、就活(シューカツ)もいろいろしたんですけどねー・・・。でも、教師になる気持ちが最後まで消えなくて・・・」

というようなことをしゃべった。


ビールとレモンライムを交互に飲みながら、思う。
何だか、「就職活動」って、とてもオトナの言葉に聞こえるナァ・・・。
みんな、すごいよなあ・・・。



「〇活」
という言葉を、よく聞くようになった。
就活(シューカツ)という言葉が使われ始めたころ、学生は、「活」という、短く勢いのある語を使い、就職戦線を乗り越えようとしたのだろう。

今じゃ、

婚活(こんかつ)
終活(しゅうかつ)
離活(りかつ)
産活(さんかつ)
なんてのまで、ある。

昨今ますます増えてきた『〇活』という表現。



『活』は「活動」の略で、漢字の意味は、

【いきいきと。勢いよく動く】

という意味。

デリケートな問題でも『〇活』と表現することによって、みんな、話題にしやすくなるのだろう。
お互いに、わかりやすく、親しみやすい語句にして使えば、一人で問題を抱えるよりも情報が入りやすくなる。


ただ、この

「活」

という言葉には、勢いがありすぎる。

勢いのある言葉を使い過ぎると、あぶない気もする。
なんだか、なにか大事なものが、どこかへ流されてしまうこともあるんじゃないか・・・。

そんな気がする。

たしかに、一気呵成に、というのは、ここぞ、というときには必要なものかもしれない。

しかし、同時に、「機関銃的」なあぶなさ、つまり、とめることのできない不器用さ、見当違いの方向へ弾を撃ってしまうかもしれないという恐ろしさが潜んでいるような気がする。





本来「活」は、とてもすがすがしくて、はりきっていて、明るいものだと思う。

ただし、たとえ自分が「活」の最中であっても、常にこれまで積み上げてきたものにこだわらないで、

自分の中の素直なものにとって、

無理のない進み方をさがして、

楽に、楽に、

考えていきたい。

自分の真意は、ひとの真意は、と・・・。

人間にとって絶対に無理のない道があるはず。






さて。統一地方選挙です。

駅前では、白い手袋にマイクを持った候補者の演説が聞こえてくる。

政治家のみなさんは、まさに今、選挙活動(選活?)のまっさい中だ。

選活

「今の日本」を論じてもいいし、「政局」を論じてもいい、「経済」や「国債危機」を論じてもいい。
どんな演説の内容でもいいけど、

いつでも、素にもどって、

ただの人間にもどって、


ひとにとって、どう考えていくのがもっとも「無理のない」行き方なのか、語ってほしい。


もしもそうでなかったとしたら、

どうせどこかからの借り物理論だろうし、

だれかをやりつけるための論法ばかりみがいたところで、

その「機関銃的発想」は、あぶなさばかりが目について、

ハラハラするばかりだしサ・・・。



春の野草
小さな、野草です。なんていう名前だろう?