叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

不安がない、ということ

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不安があるかないか。

このことが、何をするのでも、本当に大きなこと。




人には、なにをするのでも、どんなことをしようとするときにでも、

なぜ、それをするのか、という動機がある。

いろいろな動機があるのだけれど、

中には、不安を消そう、ということが動機となる場合がある。

この場合、不思議なことに、行動しても不安が消えない。

不安を解消しようとして行動するのに、行動したあとにも、不安はある。

回避はしたが、解消は、していないからだ。




さいしょから、不安がない、という状態でスタートしていれば、どうか。

前提として、怖れているものが無いので、

行動の途中でも、怖れはでてこないし、

行動の結果がどうであれ、

たとえ期待する結果にならずとも、

結果に動揺したり、不安が出現したり、ということにはならないのです。





つまり、不安のない状態であれば、強迫的に何かをやる必要がない。

やればやったで、やったことすべてが利益になる。

これが、安心の一番底。

安定、崩れようのない、安心にいる、ということ。




お出かけする場合も、友達に会いに行く場合も、

不安があるから行くのか、どうか。

自分に不安があるのかどうか、不安を消したがっている自分かどうか。




不安をなくすには、不安の正体を調べるしかないと思う。

人に対しての不安や怖れ。

特に肉親、親へのものを調べると、とてもよく分かる。

子どもの頃からの、根強いものだしね。

親との関係を調べるのは、とくに効き目ある。

総じて、自分を知る、ということ。


授業でも、親は大活躍。

道徳の人権教育で、一番深まるのが、親のことだ。

何でだろう、と常々思っていたけど、当然だよね。親だもの。一番近い。

みんな、本気で考えようとするからかもね。



親が好き。
尊敬してる。
産んでくれてありがたい。
このお母さんで良かった。
感謝してる。

ところが、受けいれられないときがあって。
ここが肝心。



親の言うことやすることに腹が立たなくなって、
親にどう思われるか等が気になることもなく、
自分についての他人の評価等の意味についてもそのメカニズムが分かり、
人と人の間柄が整理できると、(ここまで考えようとする人は稀)


完全な安心、完全な自由を満喫して、

心の底の底から、満たされた状態になる。

こうなると、何も要らなくなる。

もしかしたら、読書も宗教も、要らなくなるのかも。不安を解消する手段としては・・・。






すべての行為・考えを、

『不安のない状態』

そこからスタートしたい。



え? そんなん、無理?

無理と決めないで!
今の考えだと無理に見えても、ネ。
たとえ、今は、そう見える、ということであっても・・・。




大人は、よく思い出してみよう。

幼い子ほど、満たされてる。



二度手間かけてる時間が惜しいと思う人は、特に。

虫の名前はすべて子ども会議で決める