叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

リア充について

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リア充』、という言葉があって、わたしはずいぶん面白い感じを受ける。
カタカナと漢字がくっついているのもユニークだし、「リ・ア・ジュー」という、さいごの音感の、

ジューッ・・・

という音も、とても面白い。


夏休みで少々ボケてきたのか分からないが、ちょっとあまりにも自分が無気力になってきた感があって、最近、とても心地がよい。

頭の中を空っぽにして、ふんわ~りと漂うように歩いていると、それを懸念した嫁様がしきりと

「ダラダラしてないで、ほら、洗濯ものでも畳んでッ!」

と、私を働かせようとする。

そして、

「そんなふぬけたような、夢でも見ているような顔でいるの、やめてよネ」

と注意するではないか。


わたしはそれを聞いて、ニタニタし、

「馬鹿もの。吾輩は心身ともに充実するあまり、こうしてテレビも見ないし本も読まずに、ボーッとしておるのだ」

嫁はあきれかえり、

「まだ、座って高校野球でも見てくれた方がいいわ・・・。何にもしてないのを見ると、なんだかイラつく」

とぼやいて、さらに勢いよく、台所でジャーッと何か洗っている。



このやりとりを振り返りつつ、わたしは考える。

元来人間は、『リア充』になればなるほど、ちまたの情報が不要になるのではないか?


わたしは、あまり高校野球に興味がわかない。
オリンピックにすら、興味がない。
たぶん、2020年の東京オリンピックも、テレビのニュースも見ないし、あまり興味がわかないまま、いつも通り、いつの間にか終わっているだろう。そして、妻に言うと思う。

「あれ?オリンピックって、終わったんだっけ?」



他の人が何をしているか、何に精魂を傾けているか、それが気にならない。

そして、他の人のやり方や、方法や、目標や夢、というものについて、ぜったいに

ケチをつけないでおこう、と思う。

相手だって、尊重してほしいと思っているはず。

自分だってそうだからな。




だから、逆に、ケチをつけられても気にならない。無視できちゃう。

「困る!」

と言われても、全く、平気。





ケチをつけたりつけられたり、なんて、

もう卒業!

人間だもの。





 ↓ コーラをのめば、君もリア充になれる!!(ただし山の上は200円だった。ホント・・・)

ジューッ・・・

山の上は200円コーラ