叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

人生の方から、やってくる。

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子どもも、大人も、いっしょ。
人生は、等しく、同じようにある。
同じスピードで、同じように、時はきざまれていく。

子どもが花を愛し、歩いているネコに興味を持つ。
大人も同じ。

てんとう虫がいたら、
「あ、テントウムシ!」と言うし、
うまい常夜鍋をおなか一杯食べたら、

「うまかった~」

というのも、いっしょ。
大人も子どもも、同じ『生』を生きている。


では、ちがう点はないのか。

ちがう点も、もちろんある。
経験値だ。
大人と子どもは、経験値が違う。

大人は子どもよりも、ずっと先を進んでいる、という感じがありますね。

ところが、
教師を続けていると、大人の経験など、まるでたいしたことがない、と感じるようになる。
子どもも大人も、まるで同じだ、という思いの方が、ますます、一方的に強まっていく。




子どもは、人生というのは、向うからやってくるものだ、と思っているのではないか?

まるでゲームのように。

ほら、あるでしょう。
ゲームセンターなんかで、道路が向うからつぎつぎと風景を変えながらやってくるサーキットゲームが。

運転席に乗り込むんだけど、その運転席が前に動くわけではない。
ゲームセンターの隅の壁際に、いつまでも停まっているわけ。
前に進んでいると思うのは、乗り込んだ人だけ。

マシンの横から客観的にその姿を見ている人からすると、

「あ、あの椅子に腰掛けた人、いそがしくハンドルを動かしているな」と見えるゲームね。

あー。

そうそう。そのゲームですよ。
思い出しました?

カーレース
 (↑ これはちょっと古いかな)

こんな感じかもしれない。
子どもの感じ方って。

子どもからすると、自分が進んでいるんじゃなくて、人生が向うからやってくる。


ところが、大人はちがう。
自分が切り開いて、進んできた、と思っている。
自分が選択して、道を選んで、さらにはからまった茨(いばら)や蔦(つた)の葉をよけながら、大きな石を避けながら、小川を飛び越えながら、自分こそが進んできた、という感覚がある。

だから、これからもずっと、前に進まなきゃいけない、と感じている。
次も、乗り越えていかなきゃ、よけていかなきゃ、と思っている。


そして、子どもに言う。

「人生と言うのは、イバラの道だ。四方八方に気を配って、怠りのないよう、勇気を出して進んでいくんだぞ」

 ↑ こう思っているから、それこそ大人ってのは、毎日大変な思いをして生きているわけ。



また、世の中の一方では、進むべき道が分からない、と悩んでいる人もいる。
自分には、やるべきことがわからない、いい道がない、どの道を進めばいいのか分からない、という。
そして、

「自分は停まっちゃった」

と思って、嘆いたり、みんなと比べて引け目を感じたり、する。



安心してください。

子どもは世界が違います。
人生の方が、向うからこちらに向かって、どんどんとやってくる。
進もうとしなくても、道に合わせてハンドルを動かしていけばいい。
ずーっと右に向かってハンドルを切ってみたり、ずーっと左に向かってハンドルを切ってみたり。
ただ、それだけ。


えーッ??
だったら、だったら、人生の意味は?
生きていくために必要な、生きる理由とは?




↑ ほらほら。
大人は、そこに「意味」や「理由」を探そうとするけど・・・。



1年生に、
「なんで生きてるの?」
と聞いてみると、かなりの確率で、哲学的な回答をするよ。
彼らには、理由が要らないのでしょうナ・・・。



姉妹学級で仲良くしている1年生の回答を、参考までに。

「なんで生きてるの?」

「えー・・・」
「生まれてきたからー」
「たのしいからー」

「なにがたのしいの」
「えー・・・」
「ぜんぶー」

大人のように、

なにか経験すると楽しい、

というのではないよ。
経験する前から、楽しい。

なにが楽しい、ということもなく、なにもないのに、最初から楽しい。
それが人間の世界。