叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

と・き・の・な・が・れ

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年末の大掃除。

荷物をひっくり返していると、段ボールの中から、思いもよらぬモノが出てくる。

古い写真やアルバム、手紙、何か記念のつもりだったのだろう、切符や美術館の入場券まで出てきた。


小さな文庫本が、いくつか出てきた。
20歳で大学を辞め、牛を飼っていたころ。
またその後、農業を生業として仕事を始めた時期からの持ち物だ。

それが、なんと、今とまったく変わらない趣味で、おどろいた。
オレは、30年近く、まったく趣味の変わらない人間であったのか、という思いだ。

水木しげるの、作品集。
そして、落語の本。

「なんだ、今と変わらないな」

それを見ていた嫁まで、声をあげて笑って、

「進化してないなあ~」

と言う。


そういえば、30年前から、おなじことを思い続けている。

5時間くらい、たっぷりと、テレビの前で、桂小三治のビデオを見たい。

ずっと、そう思い続けてきた。
でも、ずっと、それがかなわない人生だったらしい。

毎日、毎日、やることのある毎日。
ヒマのない、毎日。
それが幸せでもあったのだろうが、同じことを30年近く、思い続けて、まだ今だに、それを「確固たる欲望」として、抱き続けている自分自身が、なんだかふびんに思えてくる。

サザエさんを一日読んでいたいだとか、河童の三平をトレースして、描けるようになりたいだとか、枝雀さんの「貧乏神」を演れるようになりたいだとか、

同じことを、本当に、30年以上、思い続けている。しかし、それをちっともやっていない。
今度暇になったら、と、ずっと思い続けている。30年以上も!!!

kappano


さかのぼると30年ほど前、中学か高校生の頃の趣味が、そのまま持続する、というのが、あらためて衝撃だ。

高校の頃は、当時思っていた落語への情熱が、そのまま自分の人生にずっとずっとつきそってくるとは思いもしていなかった。
将来は、もっともっと、自分も、自分を取り巻く世の中も、劇的に変化し、変わるのだ、と思い込んでいた。
(ところが、当時も今も、自分の中身はそれほど変わらない!!!)

志ん生のテープを聞いて思うことも、30年前と同じだ。
同じところで、同じように、笑っている。
40代半ばの自分と、高校生の頃の自分と、同じ感情を抱いて、生きている。


それが自分で分かって、なんだかすごく衝撃を受けている。
自分自身に。
そして、ときのながれ、というものに。