叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

広告の授業

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情報リテラシーを何とかしろ、という要請が、山のように学校に届いているらしい。
国レベルでも、県のレベルでも、教育委員会でも、どこの市でも町でも、今、ネットの情報社会をどう生き抜いていくか、教育してくれ、という。

それはそうで、ネットは今、金銭にまつわる詐欺サイトやオレオレ詐欺のたぐいをはじめ、だまして個人情報を盗もうとする輩、ありとあらゆる犯罪の巣窟となってしまっているようだ。

犯罪だけではなく、メールのふとした文字のやりとりで人間関係を大きく損なったり、喧嘩をしたり、どうもつきあい方をまちがえると大変なことになるから、というフレコミで、教育界も「情報リテラシースキル」への対応を始めていくとのこと。

さて、そもそも情報とは何か、ということが前提にあるわけで・・・。




考えてみると、詐欺などの犯罪はだいたい、だまされる人にたいして、

あることを思ってほしい

と、情報を刷り込んでくることから始まるように思う。



たしかにこれは、マジック(手品)を思い浮かべればすぐに判明する。

たとえば、マジシャンとしては、お客にだまされてほしいのだから、巧妙にことを運ぼうとする。

つまり、手に持っている赤いハンカチを見せたとたん、客には、あることを信じてほしい、とマジシャンは考える。

すなわち、

「わたしが手に持っているのは、赤いハンカチがたったの1枚だけです」

と信じてもらいたい。

たとえ、手の中には、青いハンカチも黄色いハンカチも同時に持っていたとしても、客にはあくまでも、

「赤いハンカチが1枚だけしかありません」

と思ってもらわないと、手品にならない。


同様に、オレオレ詐欺などは、だまそうとする対象(ジジババ)に、

「いま、会話している人は、孫だ」

と思わせなくてはならない。


ネットにはびこる犯罪に対処するにも、掲示板を見るにも、SNSに投稿するにも、ネット社会を正常に歩いていくには、子どもたちに、このことを知ってもらう必要がある。すなわち、

「いま、わたしは、何を信じようとしているのか」

ということである。


「この人は、わたしにこう思ってほしいんだな」

と、客観的にネットの情報を扱えるようになれ、というのが、文科省のすすめる情報教育の意味する、

身に着けるべき正しい情報リテラシーとスキル

であるらしい。


まあ、ここまでは、意味がわかる。
なるほどな、とわたしも感心しながら資料を読んだ。
へえ、文科省も、ここまで考えているのかー、と。


で、実際に現場で子どもに、なにを教育しろ、というのか、というと・・・・

・・・実は、現場に任されている・・・。


ほにゃーッ!




そこで、こんな資料を見せて、子どもたちに問いかけてみようと思う。
この広告は、みんなに、

◎どんなふうに考えてほしいか
◎どんなふうな意見を持ってほしいか
◎どんな感想をもってほしいか
◎具体的にはどのような行動に出てほしいか

なにを目的にした広告なのでしょうか。


どうだろうか。
これで、情報を客観的にみる子どもたちが育つだろうか。
チマキパンm