叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

「だれだって、怒られたくない」

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教師に怒られるのがイヤで、ドリルの答えを写してしまう子がいます。

間違いを恥とし、点数の高い低いで教師に脅され、「そんなんじゃ、幼稚園の子にも笑われるぞ」なんて言われたら、脅しによる恐怖を避けるために、裏道を行こうと考える子だっているでしょう。

素の姿を見せると罰を受けるという恐怖から、本当の姿や素直な心持ちはひたすらに隠し通し、波風を立てぬよう、親や教師の前ではいい子でふるまう。

決して、間違いを口にしたくないのです。

すべてにおいて、教師に「非」を悟られたくない。
そもそも自分の行動の一つ一つ、それが「非」かどうかの判断を誰がするのでしょうか。

教師がする?
だとしたら・・・
そりゃあ、教師に対して、「警戒心」も発達するでしょう!
ともかく教師には余計な詮索をされたくない。

何かをするたびに指摘され、<裁きと罰>で脅されていたとしたら、どう感じるようになるでしょう。きっと素直な考えを口に出すことをためらう子がでるのではないでしょうか。

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大人だってそうです。
素直な思いを口にした途端、腹を立てたり、言葉じりをとらえて気にしたりする上司がいれば、だれも思ったことを口にはしなくなるでしょう。

思ったことが言えない空間、教室、学校。
だれもそんな場所に、いたいとは思わないでしょう。

考えてみれば、私たちは、「怒られないために、叱られないために、悪く思われないために、迷惑のかからないように」と、先回りして心配し、何か手を打たねばと焦って行動することが多いです。
教室の子どもたちも、まったく、その通りであります。


人にどう思われるか、と我慢している子は、素直で思ったことを言う子に対してやきもちをやきます。

教室で発生するいじめの首謀者は、本音を言えない、さびしい、友人のいない子がほとんどです。
親にも友達にも教師にも、だれにも心を開けない子。
心を開かない子が、開いている子の自由さにあこがれて、足を引っ張るのがいじめです。
自由でないから、憂さを晴らす。ストレスをぶつける。

大人が感じるべきなのは、その子の表面に出てきたものでなく、その子の内面でありましょう。そのためには、決して、<裁きと罰>を即効的に持ち出さないことです。
<裁きと罰>で脅せば脅すほど、その子は、カムフラージュの術にたけていくだけです。

卒業を目前に、
「叱られたくない」という一心で、卒業式の合唱練習をするのだとしたら、その合唱の意味は何でしょう?
カムフラージュの合唱が「透きとおった歌声」なんかになるわけがない。

クラスの中で、安心して過ごしているかどうか。
その「安心」だけが、その子の「素」を引き出すのかと思います。
卒業式の合唱を聞いて、どう聞こえるか。
そこに、教師が1年間、積み上げてきたものがすべて、現れるのでしょう。

見た目の態度や行動やセリフなんて、ぜーーーんぶ、薄っぺらな、表面だけのもの。
それでなにかを評価されたり、判断されてたら・・・

「大人なんて、かんたんにだませるな」

ということになりますネ。

新間先生の方を向いて、歌おう、という子がいたら、その子の目を、しっかりと見つめようと思います。