叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

忘れ物がなくなる理由

.
もし、仮に。


忘れものをなくしていくには、教師が忘れ物を

恥とし、

罰することでしか

なくならない。



そう思い込まされているのだとしたら、かなりのエネルギーのロスかと思います。

まず、教室に、「恥の文化」が育ち始めるからです。


「あいつが忘れるからいけないんだ」
「忘れやがって」
「あ、あいつまた忘れてる」
「あいつは忘れてばかりだから、苦労してもいいんだ。むしろ苦労すべきだ」
「あいつはダメなやつだ。いじめられてもいいやつだ」

子どもが、そう判断するようになります。



いじめが始まるのは、もしかしたら、こういうことかもしれません。



そのいじめと対峙して、教員はものすごいエネルギーを注がねばなりません。

それよりも賢いのは、そもそもいじめが起きないようにすることです。

いじめを育む、恥の文化を、撤廃することです。

そのほうが、あとで考えても、何倍も楽です。



あと、忘れ物をすると罰する、というの。

これも、なぜかわかりません。

なんで、忘れ物をした子を、罰するのでしょう。

なにか、いいことあるんでしょうか。

恐怖感のあまり、次から、忘れないようになる?

いや、罰しなくても、なくなるのだとしたら?

その「恐怖」、要る?






こう書くと、

「叱ってはいけない、というのか!」

とお叱りを受けるので、誤解を避けるために書きますが、

いい、悪い、というのではないです。

そんなの、好きな方をやればいいですよネ?





困らない、叱らない、という文化でやれば、叱らずに済むのです。

それと、ついでに、忘れ物もなくなっていきます。

わたしは、それが楽しいし、ふつうだと思うし、楽(らく)です。


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