叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

多様、は「一つ」であることの証拠

子どもといっしょに、図書室で図鑑を読む。

小学校の図書室には、高級な図鑑が何種類も置いてある。

「ポプラディア」の大図鑑とか、知ってます?

・・・絵も写真も、すごい量ですよ。

きっと、予算が潤沢なのでしょう。(国の将来を考えたら、スバラシイことだ)



そこで、ふと疑問に思うのは、

「なんでこの世の中は、こんなにも多種多様であるのか」

ということ。


この疑問は、幼い時から、ずっとわたしの心の中にある。





図鑑のページをめくるたびに、

こんなにも色とりどりの、

こんなにも大小サイズの異なる、

こんなにも複雑で形のちがう世界が展開されていくことに、

めまいを覚えるほどだ。

子どもも、どうもそうらしい。




わたしが必ず図鑑を一緒に読む、Sくんは、

「先生、図鑑読もう」

と、図書の時間に誘う。

わたしが図鑑好きなのを知ってるから、ネ・・・。




そこで、お互いに、

「うぉッ!!」

だの、

「これ、すげー」

だの、言いながら、ページをめくりあう。



最後におなかがいっぱいになったような気分で本を閉じ、

「いやあ、すごいねえ(世界って)」

と、顔を見合わせる。



「先生、今度は動物じゃなくて、魚を読もう」

「ごめん、もう動物だけでおなかがいっぱいになった」

「あそう」

Sくんは、ひとりで、魚図鑑をめくりはじめる。




図鑑を読むことの面白さは、見終わった後の、

「うーん、多種多様すぎる・・・」

という、一瞬、クラクラするような、頭の中の振動の『余韻』を味わうことだ。



なぜこれほどまでに、生物というのは、そして地球環境というのは、

多種多様なのか。

神様がひとりでつくったと西洋の人には信じられているらしいが、

神様もひとりで数百万種類の昆虫を考え出すのは、相当な苦難としんどい思いをしただろう、と思う。




そして、ふと、

もともと、世界は一つだから、多種多様なんだなー、と、思う。

もともと一つでなければ、こんな多種多様にはならんもの。
お互いが、お互いの存在を決して許さず、滅しあうだろう。

一つだから、「多様」と存在し、
多様だから「一つ」、と言えるのだろう。

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