叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

原発のことをどう授業するか




原発の大事故。
スリーマイルを超えるレベル、歴史的な事故。
(えっ、そんなに?と思うけど、新聞記事を読む限り、そうらしい。

国連原子放射線影響科学委員会(UNSCEAR)のバイス議長は6日、ウィーンで記者会見し、福島第1原発事故の重大性について、旧ソ連チェルノブイリ事故(86年)と米スリーマイル島事故(79年)の中間との見解を示した。


さて、これを無視するわけにいかず、どう授業するか、悩んでいる。
10年後、


「当時の○○先生、ちっともそんな話しなかったよね。ちゃんと教えてくれるべきだった。」

と教え子から責められたら、本当に教育者としては恥じるべき姿で、平身低頭で謝るしかない。


教師に、ことの是非をいう資格はない。今回の場合は。東電の責任者を責めるとか、政府を責めるとか、メーカーを責める資格もないと思う。

ただ、どう考えていくか、ことの現実を、子どもたちに示していく必要はあると思う。
デマに振り回されないようにするために。
風評被害も出ている。
現実、事実を知らされないから、風評被害にあう。また、風評を信じ込む態度に出て、さらには加害者側に立ってしまう。
子どもたちが、風評被害の加害者立場に立つことについては、教師が防ぐことができる。



とはいえ、相手は2年生。
大丈夫だよ、と言いたい。
基本は。
でなければ、この小さな精神と身体が、不安でいっぱいになってしまう。


しかし、こわさもまた、どこかで伝えなければならない。
「想定外」というこわさも。


もんじゅ」が、制御棒の操作ができず、稼働運転もできず、かといって廃炉にもできず、中途半端な運転のまま、まったく発電できないでいること。年間の経費がン億円も無駄になっていること。

こういうことを、どう子どもたちに知らせたらいいのか。


もんじゅの事故は、想定外であった。


今回の震災。
津波も、地震の規模も、想定外。
想定外には、だれも責任を取らない。


大学祭の特別講義を思い出す。
原子力発電所が話題になった。今から、もう20年も前の話だ。

ある質問者が、もし想定外の巨大地震が起きたらどうなるんですか、と聞いた。


「そのときはみんな死ぬのでしょうね」
竹内均先生が悲しそうに言われた。

雑誌、ニュートンの編集長をされていた。耐震設計を信じるしかない、ということ。
竹内先生は、だからといって、脱原子力というのは今の人間にはできない、と言われた。
それだけ、電気の必要性が増している。

作家の広瀬隆さんは、火力と水力でまかなえる、という。
でも、電気事業連合会の広報誌では、火力と水力ではまかなえない、と言っている。

実際は、だれも知らないのでは。

3年生くらいなら、こう言いそうだ。



「本当に火力と水力だけではたりないかどうか、ためしてみたらいいと思います。」

まあ、これもありか。
結局、計画停電で病院も老人ホームも工場もピタッと強制的に停電させられてしまっていたのだもの。(これもひどい話だと思うが)
ためしてみる、それもいいかも。

ともあれ、電気に関して、大きな宿題を背負ったまま、この子どもたちは、大きくなっていくしかないのだなあ、と、教室の子どもたちをみて、思いました。
(同時に、わたし自身も、子どものときにチェルノブイリチャイナシンドロームが話題になっていたのだし、同じことですね)


原発を扱うのは、総合的な学習の時間か。


学習指導要領の解説に、環境問題に関してふれているところがある。


「環境問題をより科学的に認識するためには,温室効果を確かめる実験や風車をつくって発電する実験などをしたり,環境保全にかかわる機関に見学に行ったりする活動が効果的である。
また,自分たちが深く環境問題とかかわっていることを実感するためには,家庭や学校での水の使用量や,排出するゴミの種類と量を調査するような活動が有効である。こうして調べたことや実験などで分かったことを発表・討論させることを通して,具体的にどのように行動を変えればよいのかを考えさせたりそれを深めたりする・・・」

(PDFファイル)


、とある。

これだな。
学校予算でガイガーカウンター購入するところもあるかもしれない。(放射線被ばくを避ける生活の仕方や、日蔭と日向での数値の差、屋内と屋外の数値差、天気予報と被ばくの関連、風向きと被ばくの関連、給食や学校農園内の作物の数値など)

校庭活動に放射線基準…文科省

上記のようなことを書いて、アップした直後に、こんな記事を見つけました。
これから、ガイガーカウンター購入が、どうやらふつうのことになりそうです。
ガイガー常備。
学校だけでないかもしれないね・・・。