叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

20代途中から教員をめざす Fさんへ




(教員の夢を持っている、というFさんからのメールへ返信)
※同じようなメールをいくつももらうので、ちょっと紹介させてもらいます。
以下、私からの返信メールです。


Fさん、教員の夢をお持ちなのですね。
とてもすばらしいことと思います。
教師は情熱を傾けられそうな仕事、と感じていらっしゃるのですね。
そうした勘が、人生で大切になってくることもあると思いますよ。
私がそうでした。


Fさんは、「でも、自信がないのです」とお書きですね。
わたしも自信がありませんでした。

不安を数えると、100越した数はあったと思います。
結婚して、学生だった妻を養うために稼がなくてはならず、
子どもも生まれていて、免許もありませんでした。
周囲に相談すれば、みんな「むずかしそう」と言いました。
だいじょうぶ、できるよ、と言った人は一人もいません。

でも、情熱を傾けられそうな仕事は、やはり教師だろうな、と思っていました。
たしかな証拠はありません。確証もありませんでしたが、たよりになるのは、
「おそらく、自分はそこに情熱を傾けていけるだろう」
という勘でした。
それだけは、自分で大切にしたいと心から思えることだったのです。

それで、妻と相談して、その道を進もうと決めました。
仕事を辞めて、勉強ができるようにと、近所の職場を探しました。
1度目の転職です。
5年の計画を立てました。
計画を立てると、素直に喜びに似た感情が湧いてきました。

計画表の最後には、
「教員として小学校で勤務を始める」と書きました。
教員になっている姿が見えました。
それを見て、むしょうに嬉しくなったのです。

そのときに、嬉しさを感じている自分を、もう一人の自分が見て、
「お、おれ、うれしそうだな」
と不思議に思っているような感じでした。
それで、確信がさらに深まりました。

「たぶん、おれ、この人生を歩いていきそうだな」



そのあと、100あった不安を一つ一つ、クリアしていきました。
わたしも勉強らしいものからは相当に遠ざかっていましたから、
(高卒のあと、仕事を10年間、ずっとしていましたので)
英語なんて、さっぱりわかりませんでした。
おそらく今の Fさん の方が、英語は達者でいられると思います。


「英語なんて、さっぱりおぼえていないよなあ」
と、当時のわたしも、思ったと思います。

英語だけでなく、さまざまなことで、不安がよぎりました。
でも、5年ある、と言い聞かせました。
5年間は、×365で、1800日以上ある。
この1800日で、1次試験をぎりぎり合格できるまでがんばろう、と思いました。

一日ずつ、少しずつ、です。
30歳を過ぎていたのです。
ゆっくりいくしか、ないではないか、と自分に言い聞かせました。
よくばらないけど、休まないでいこう、という感じです。
隣の人が休んでも、たとえ靴一足分でも、毎日歩こう、という気でした。


英語は、中学生の問題集を一冊、日曜日にちょこちょこと進めたり、音読したりしていました。
通信教育部にも通いましたが、通信制大学の試験は、辞書の持ち込みが可能でしたし、ほとんど教官が試験の範囲や問題を教えてくれていました。だから、事前にある程度の学習があれば、単位がもらえました。
わたしの通った通信制大学が例外ではなく、大勢の社会人が時間を惜しんで学びに来ているのですから、教官もできるだけ単位がとれるようにと、便宜をはかってくれていたように思います。きまった試験範囲を、まじめにやれば、受かる、というのが通信大学の単位取得でした。


さて、ご期待に添えたかどうかわかりませんが、私はすでに教員になった身です。
苦労したことは、合格して勤務を始めた時にはきれいに忘れてしまいました。
苦労とは、そうしたものです。

当時の苦労はあまり苦労とは思っていません。
他の人はわたしに向かって、さぞ苦労したでしょう、と言いますが、合格すればみんなふっとびます。

苦労はあるのでしょうが、ぜひとも、教員をめざしてはいかがでしょう。
今感じていらっしゃる、「情熱を傾けられるだろうという勘」を大事にしてください。
初志貫徹され、教員の世界でともに汗を流せる日を楽しみにしています。

どうぞ、がんばってくださいね。
またブログで意見や質問があれば、コメントでもくださいね。