叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

気になる児童がいる




気になる児童がいる。
なにかいつも、爆発する要素を持っている気がする。
なにか、表情が暗いのだ。
そして、言葉の端々が、少し、とがっている。


この子を、大事に、大事に、と思う。

聞けば、家で、年の離れた乱暴者の兄に、こき使われているらしい。
食事の皿まで、運ばせている、と聞いた。
なんで小学校低学年の子が、そこまでしなければならないのか。

「なんでおれが」

が口癖になってしまっている。


こういう子が、キレるのは簡単だ。
兄のせいにするのがいい。
だれにも責められることなく、自分がキレることの立派な理由になる。

「むしゃくしゃする」

が、万引きの児童が一番使う理由らしいけれど、
この子もつねに、

「なんだかむしゃくしゃする」

と、言いそうな顔をしている。



この子だって、いいところを、たくさん、たくさん、もっている。
やさしいところを、たくさん、たくさん、もっている。
そのことを、自分できちんと知って、忘れないでいてほしい。
自分の心の中にあるもの。立派にかがやいているもの。
それを、ぜったいに、ある、みえるものとして、大切に持っていてほしい。

行動に出てくる、よさ。
それを、みつけて、ほめて、その子のよさとして返してあげる。
それを繰り返して行くことだと思う。


今日、その子が、草取り用の「草抜きフォーク」を、取りに来た。
掃除の時間だ。
いつものように渡して、見ていると、
フォークの刃に近い部分をきちんと手のひらで隠すようにして持っている。
一度、持ち直したが、やはりそうやって手のひらで隠すようにして持った。

これは、偶然ではないな、と思った。

その子は、そうして大事に草取り刃を持ったまま、教室を歩き、廊下を歩き、中庭まで歩いて行った。

教室には、ぞうきんがけの児童がいる。
また、ほうきを動かしている仲間がいる。
そのクラスメイトたちに、刃を向けまいとする、心遣いがある。

そのことを、さっそく、掃除の時間が終わった時に、みんなに伝えた。
ほお、と感心の声がもれた。

「なんで、○○くんは、そんなふうな持ち方をしたんだろう」

と私が言うと、

「だって、刃があぶないから」

とほかの子が言った。

「そうだ。そのことに、○○くんは、きちんと気付いているんだね。やさしいね。ぜったいに友達をけがさせたくないって思っているんだよね。こういう人がいるクラスにいるんだから、みんなうれしいね」


しらけたような空気、どうせだめだ、というあきらめの空気、自暴自棄の空気。
荒れた学級には、苦しい空気が満ちている。
ため息のような、苦痛に耐えるような空気がある。

そして、人を責める空気が。

「なんでおれが」「なんであいつが」「なんで先生が」「なんで親が」「なんで俺は」


この空気を切り裂いてくれるのは、シングルエイジの時代の、愛された感覚だろう、と思う。
人は、どんな人でも、愛されて、愛に包まれて、生きていきたいのだと思う。
それが本当だ。
それを、7歳で、感じられる毎日にしていくこと。