叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

どくとるマンボウ昆虫記の思い出 軽井沢高原文庫訪問


軽井沢高原文庫で、昆虫記にまつわるさまざまな資料を拝見してまいりました。
いろいろと教えてくださったのは、新部公亮(にいべ こうすけ)さん。(おかげで楽しい訪問となりました。本当に丁寧にありがとうございました。)

まずおどろいたのは、北杜夫さんが少年期に腎臓の病で病床にあったとき、実際に読んでいた本が、陳列されていたこと。
本物、です。

昆虫記を読んだことのある方なら分かると思います。
『原色千種昆虫図譜』という図鑑です。
北さんは、この図鑑の、続編をあわてて買ってしまったのですね。正編と続編が並んでいたのですが、買ってきて見てみたら、台湾の蝶ばかりが並んでいる。これはおかしい・・・。(装丁がきれいだったのか、新品に見えたのか・・・)

せっかく貯金をはたいて買った本が続編だったので、北さんが相当落ち込んでいるところ、周囲の方が気の毒がって、結局正編をプレゼントするのです。

その、正編と続編の、両方の昆虫図鑑が、きちんと陳列されてある!

スゲェ!
一気に、ボルテージがあがりました。
この有名なエピソードは、昆虫記ファンならだれでもすぐに思いだせるはず。

ところで、そばで私に解説をしてくださった新部さんが北さんからその実際の本をお借りして、確認したところ、面白い話をうかがいました。正編の方の本は、中古だったらしいです。別の方の蔵書印があったとのこと。
つまり、あまりにも落ち込んでいる宗吉少年に対して、新品の本をプレゼントしたのではないのです。だれかから譲り受けた、あるいは中古で購入して手に入れた正編を、プレゼントした、と。

こういうことも、本を読んだだけでは分かりませんでしたね。でも、昭和のはじめ、戦前戦中のモノの無い時代ですから。いくら脳病院のおぼっちゃまでも、入手できたのが中古なら中古で、それでよいだろう、ということだったようです。

さて、お次。
覚えていらっしゃいますか。
麻布中学で、昆虫採集がしたくて、生物部だか昆虫部だかに入部するのです。そのときの先輩(フクロウさんというあだ名)からいろいろと教わった北さん。たしか、展翅の仕方とかを習ったのかな。
その先輩と、小説を書くようになってもまだ交流が続いていたので、ハガキをお互いにやりとりをされていたそうです。
そのとき、フクロウさんあてに、「シロウト向けの昆虫記を書こうかな」ということをハガキに書いていらっしゃいます。それが結局、「どくとるマンボウ昆虫記」になりました。
そのハガキも、実物が展示されていました。

いやあ、こういったもの一つ一つが、たまらなく面白い。楽しいです。
いっしょにいった妻と子どもは、一足先に湖の方へ遊びに出て行っちまいました。
でも、わたしが大満足の顔で高原文庫から出てきたのをみて、
「よかったね」
と言ってくれました。



昆虫記が最初に登場するのは、週刊公論、という雑誌。
浅丘 ルリ子さんなど、女優さんの写真が、表紙に掲載されていました。
(この雑誌、商売的には失敗して、すぐに廃刊になってしまうそうです)

この「週刊公論」の「どくとるマンボウ昆虫記」。
なつかしの佐々木侃司さんのイラストがものすごくたくさん掲載されています。これを見るだけでも、なんだかジーンときて、たまりませんでした。
実際の中央公論社の「昆虫記」にも載っていますが、かなりカットされていて、全部は掲載されていないのです。だから、

「おお、こんなに佐々木侃司さんのイラストがあったんだ!!」

と感動しました。これも、じっくり見せてもらいました。
いやあ、今でも本当におしゃれで、センスがいいです。細い線でも、なんだかとびぬけて、常識をやぶろうとしている。筆の勢いで、というのでなく、おしゃれに、読者の度肝を抜こうとする、というか、楽しませてやろう、というか。はじめて佐々木侃司さんのイラストに触れたのは、どくとるマンボウシリーズ(中央公論社版)で、小学校6年生だったと思いますが、その頃に受けた印象や感じが、28年後の今もまだ続いています。


さて、最後に、亡くなった北さんのご遺族にあてて、スケッチブックにメッセージを書けるコーナーがありました。
これも、案内してくださった新部さんが、

「大ファンでいらしたのですよね。せっかくですから、どうぞお書きになっては・・・」

とすすめてくださいました。
それで、思いのたけを、1ぺーじぎっしりに、書いてきました。
北先生への、感謝の気持ちです。


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最後、高原文庫で100冊限定で、北さんがサインをしてくださった昆虫記の文庫本を買いました。
一冊一冊、見覚えのあるサインが、きちんと書かれています。
旅の思い出としては、うってつけでした。

愛知から軽井沢まで、わざわざ高速をとばして来て、よかった。
朝5時発で、一日がかり。
日曜日には、学校で仕事があります。
土曜日のうちにもどらなければならない。
家族に、一泊旅行をプレゼントしたいが、今日は残念、ということで。

帰り道、寝ている息子たちをよそに、妻に、北杜夫の魅力を熱弁しつつ、高速を飛ばしました。
妻も、半分は寝ていましたが。

佳き旅でした。