叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

子どもの反抗に、こう切り返す!


「おまえなんて、クビになれ!」

子どもが教師に対して、暴言を吐く。

子どもの心理を考えると、ここまで言うのは、よほど追い詰められている状況だ。
ふだんからこういうことを連発する子もいる。
こういう子は、ほとんど反抗挑戦性障害、という感じ。
なかなか対応がむずかしい。

しかし、教師のやることは、動機づけ、つまり肯定的なフィードバックを続けていくことしかない。
これを外れて、教師のやることにほとんど意味が無い。
怒鳴っても、威圧しても、ほとんど子どもの動機づけにはならない。社会的に意味のある、認知されたまともな行動を増やしていこうとすること。それには、怒鳴ってもあまり・・・。
とくに、家でよほどしっかりとしつけられている子には有効な手段かもしれないが、発達障害を抱えるような子に、怒鳴っても一利もない。

こういうとき、

「きみ、そんなこというってことは、よほどふだんから、なにか我慢しているのじゃない?」

ほとんど取り合わないときもあるが、そういうときは、それで心配そうに顔をみているだけでよい。興奮状態が収まらないのであれば、次の手段。

「また。心にもないことを言って・・・」

さいごの、・・・がけっこう大事だ。
余韻を残す言い方といって、案外使えるスキルである。
会話を途切れさせない、なんとか続けさせたいとき。わざと、こちらのセリフを中途半端に終わらせる。

こういうテクニックを、なんというんだろう。
思いついただけだから、まだ名前がない。(あるのかな?)

さて、この、「心にもないことを言って・・・」

は、まともに相手の言葉に正対していないから、救われる。
まともに正面からぶつかったら、危険なときがある。
ある種の、子どもの売り言葉。
こういうものには、真正面からぶつからない。
双方が、損をする。
引くに、引けなくなる。
とくに子どもが、引けるようにしておかないと。教師は、子どもの逃げ道をのこす言い方をしなければならない。

また何か言う。
アスペルガーの子や、広汎性発達障害自閉症スペクトラムの子の中には、言葉の応酬が大得意、という子がたくさんいる。
まともにやりあっていたら、教師はこわれてしまう。


そこで、こっちは同じようなことを繰り返し、まともに相手をしない。

「また、心にもないことを言って」

(ちがうわ!本気でそう思ってるから言ってるんだ。アホか!)

「また~、そんな心にもないことばっかり」

(同じようなことばっかり言うな!おめえ、教師だろ!)

「心にもないことばかり言ってる・・・」

(本気で言ってるんだ!お前なんて、クビになれ!)

「心にもないこと・・・」

(また同じこと言ってる!アホ!)

「心にも・・・」


まったく、会話になっていかない。
これがコツ。

そうでなければ、会話に意味を生じさせてしまう。
会話に意味や価値を生じさせていいこともあるし、教師はほとんど、そういうことに長けていなければならない。でも、例外がある。相手の子どもが、アスペルガーであった場合だ。その場合は、

「会話に意味をもたせなくする」

ことで、はじめてコミュニケーションが正常にもどる。
言葉の上での関係性を、正しきに戻すための、有名なテクニックなのだ。

こういうテクニックを、ブロークンレコードテクニック、という。
つまり、壊れたレコード。
相手が、飽きるのが目的。

さて、相手がうまく飽きてくれて、言葉のゲーム場、言葉の土俵から背を向けて降りてくれたら、まずは一段階突破。

つぎに、前述の、

「きみ、そんなこというってことは、よほどふだんから、なにか我慢しているのじゃない?」

といって、続けていく。
ようやくさっきのゲームを続けるつもりがなくなった相手は、この投げかけに、なんらか反応するであろう。

「我慢してるんだわ!あたりまえだろ!」

そうか。
やっぱりそうか。
えらいじゃないか。
授業中でも、今みたいに大きい声で叫んでいない時は、我慢してるんだよな。

これから、我慢しているとき、先生に教えてくれてよ。
「ああ、○○さんは、今、我慢していて、がんばってるな」と先生がわかるからさ。そして何か言いたいことがあったら、先生にそこで言うこともできるじゃない。

うまく報告してくれたら、ゴールイン。
ただブチ切れていただけの反抗児だったのが、自分を客観的にメタ認知したうえで、正常なコミュニケーションとして自分の状態を教師に報告してくれている、ということにまで進展する。
正常なコミュニケーションや社会参加ができるようになれば、そういう行動が増えれば、異常な行動がその分、減る、ということになる。

河原の石積みにも似た行為かもしれない。
でも、それしか方法がないのだから。
肯定的なフィードバックと共に、児童の正常な社会参加の量を増やしていくことしかない。