叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

学級通信は写真で速攻発行!


学級通信はわりと得意だ、と思っていた。
となりの年配の学年主任が、

「いやあ、わたし、まったく発行しとらんわ」

と自嘲気味に話をしているのを聞きながら、まあ30分ほどもあれば、WORDで体裁を整えて、作っていた。

文章を考えるのがチトめんどくさいが、それでもまあ、30分。
早い方だ、と考えていた。


ところが、この春からやってみているやり方だと、なんと1枚、10分で可能だ。この1週間、クソ忙しい雑事と事務処理の間に、もうすでに4号も出した。

(なかにはベテランの方がいて、新学期はじまって7日のうち、6日間出しつづけて、すでに6号、という方もいる。スゴイ)


いやあ、自分でも4枚も出せるなんて思っていなかったので、なんとも不思議。自分で自分をほめてやりたい。


やり方は、A4の紙、3分の1が写真、というひきょうなもの。
タイトルが上部にデン、と掲げてある。だから、タイトルと写真ですでに用紙の半分はこれで占められる。

次に、写真の補足の文。
なんの写真か、ちょこっと書く。

あとは、コーナーでちょっとした教室の様子をひとこと載せて、おしまい!



実は、このやり方は、5年も前に、同じ初任研の仲間から教えてもらっていたのだ。

「写真バーンと載せると、はやいっすよ」

と教えてくれたその若い初任者は、年間で200号を出し、初任研の担当の指導教官からも、一目置かれていた。

ともかく写真は評判がよく、保護者も「子どもの姿が良く分かる、よろしい」ということで、「ご家庭への説明責任を果たしておる」と校長からも誉められた、とニマニマしていた。

その話を聞いて、当時もマネしてみようと思ったが、できなかったのにはワケがある。
あまりにも日常が忙しすぎて、写真を撮る暇がない。

「あいつ、いつ撮影してるんだろ。授業サボって、力ぬいているんじゃないの」

今考えると、まことに不遜なことを思っていたものだ。



ところが!!

今年、ちょっと悟りを開いたものだから(北杜夫風に)、だしぬけに手を抜くことを覚え、今は完全に子どもまかせの優雅な毎日。

すると、見える見える、子どもの姿が見えるのなんの。一瞬の表情の変化が手に取るように見える。
じっと観察ができる。人間関係もよりDEEPに観察できる感じがする。余裕があるからか。
そのまま、カメラもってブラブラ歩きながら、パシャっと。

その写真を、

「みんなで話し合っているところです。中央のFさんは、○色がいいと意見を言ったのですが、折り合いがつかず、男子チームと女子チームの意見がまっぷたつに割れております」

といったような実況をつけて載せる。
昨年までの私なら、こんな余裕などなかろう。意見がまっぷたつに割れた瞬間に子どもの輪に割って入り、
「ちゃんと話しあいなさい!○さんの気持ちは?はい、つぎは男子の言い分を!」
などと、余計な介入をしていただろう。
なにせ、電光のごとく、イナヅマのごとく、この春に重大なる悟りを開いてしまったものだから、この余裕。


いったいなんの悟りかというと、

「勉強より、人間関係の方が大事」

という覚悟でしょうか。
覚悟をすると、時間をかけてじっくりとやろう、という気になる。人間関係の構築ストーリーを計画できる。

あと、勉強を効率よく教えられるようになった、という余裕が基盤。
これまでは教科書進度が10時間、となっていたら、10時間やっておりました。正直でしたね。

ところが今は、10時間のところを5時間でやる。
その浮いた分の5時間を、クラスの安定した健康な「人間関係構築」に費やす、というワケ。