叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

いじめは、ある、と考えるのが普通


さて、いじめの話を聞く機会があった。
保護者です。

ご自分が、中学生のころ、悲惨ないじめがあった、というのです。
よく話してくれたと思うのですが、親として自分の息子を育てる立場になり、気心知れた、私には話をしたい、と常々思っていたとのこと。

どうしてああいうことが起きてしまったのか、子育てをするようになって、どうしても時折、あの頃のことが強い悔恨の念とともに、思い出すときがあって、忘れられない、ということでした。(お母様は実際の加害者側ではなかったが、傍観してしまった、ということでした)

「先生のクラスなら、けっしていじめはないだろうと安心しています」

とおっしゃっていただいたのだが、

「いや、いじめというのは、あるのが普通なんです。ない、という人は、見えていないだけですね。あるものを、なんとか食い止めていけるかどうか、ぎりぎりで持ちこたえている、というのが、日本の小学校のほとんどすべての実態だと思います」

と、私は言った。

どんなプロ教師の教室にも、いじめの芽はひそんでいる。
甘い教師は、その芽が見えないので、

「わたしのクラスには、ぜんぜんありませんヨ!」

なーんて、かんたんに言い放ってしまいます。
そう言っている、ということが、

「わたしは脇の甘い、素人教師でーす」

と言っているのと、ほぼ同義なんだと自戒しています。

さて、凄惨ないじめの報告を、保護者の許可を得て、掲載します。


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まず、いじめは、ある日の夕方、唐突に始まる。

いったん、帰宅したはずの子どもたち。
女子数名が、教室にふたたび、集合している。
(巧妙に、時差をつけてなんとなく集まる)

さて、行動開始だ。

全員のロッカーに、画鋲が置かれる。
全員、というのがポイントだ。
もちろん、自分たちのロッカーにも、画鋲は他の子と同じように、置かれる。
一日目は、それだけ。
仕事が済むと、速攻で帰る。

次の日の朝、おおげさに驚いてみんなで騒ぐ。
もちろん、犯人たちも必要以上に騒ぐ。

「先生!わたしのところにも置かれていた!ひどい!○○ちゃんなんて、鞄取ろうとして、指けがしたんだよ!!許せない!!」

こう叫ぶのは、昨日の夕方、みんなのロッカーに丁寧に画鋲を置いていた主犯のA子である。

先生は、A子がまさか犯人だとは到底考えず、いたずらざかりの男子の仕業だとほとんど確信してくれる。

まず、これで教師をだますことに成功。

教師が、熱を帯びた口調で、正義感に燃えて、男子をにらみつけて、叱ってくれる。
その姿を、

「ギャハハハ!ひっかかった!!」

と心の中では嗤(わら)いながら、実際には目に涙をうかべて泣くのだそうだ。
「こんな目にあって、うちら、むちゃくちゃつらい!!」

あとで、仲間うちで、

「あんときのB子の演技、サイコー!!」

B子が得意げに周囲をみまわし、センコーなんてチョろいもんよ、と。
仲間から賞賛されたB子の演技力にも、磨きがかかるというものだ。

おまけに、叱られた男子に不満が生じる。

「おれたち、なんもやってねえのに、センコーが叱りやがった」

首謀者たちは、その男子の言い分も聞いてやる。

「わたしたちも男子のしわざと思ってないからね」

と恩を売るのも、忘れない。

「ちょっと、あの先生、おかしいんじゃない」

そういう空気をつくっていく。


次の日、また、画鋲が置かれている。

ただし、自分たち+4、5人は置かない。
これで、クラスの3分の2がターゲットに絞られたわけ。

朝になって、

「いやー、わたしのは置かれてなかったけど、○○ちゃんとか△△ちゃんたちは置かれてたんだよねー、かわいそー。先生ー、○○ちゃんたちがかわいそう!はやく、解決してあげて!!」

こう言ったのは、前日に、ロッカーにすばやく画鋲を点在させた、B子である。もちろん、計画はすべて仲間内では練ってあり、同日の作業後には、B子からA子たちへの「作業終了」報告もある。


用意周到なのは、B子だけが行った、という点だ。
A子は部活に出ていたアリバイがある。
C子にも、アリバイがある。D子にも、E子にも。
主犯格のほとんどの児童に、アリバイがある。

教師もひょっとして、とうたがう場合があるが、これでほとんど、裏がとれなくなる。

B子は、教室に忘れ物を取りに行った、というだけだ。
昨日、教室で「ひどい」と泣いていた、あのB子を疑う者はだれもいない。
男子も、

「こええー。いったい誰だよ!!ふざけんなよ、お前か!!」

一気に男子、仲間割れモード。
職員室でも会議があるが、やはり男子が疑われているままだ。

A子たち主犯グループ以外にも、4,5人が助かっている、というのもみそだ。いったいなぜ、画鋲が置かれないようになったのか、というのも意図がよく分からない。担任も他のクラスメートも、狐につままれたようになって、不安になりつつ、次の日を迎える。

さて、翌々日は、男子全員が、画鋲なしグループに入る。
さらに、女子の4,5名も助かっている。
その子たちには、実は、情報がもたらされている。

「あんたたちは言うこと聞きそうだから、ゆるしてあげた」

というような意が、A子たちから、ひっそりと伝わる。

「このことバラしたら、ぜったい殺されるぐらい、いじめられる」

というような、脅迫もある。


さて、画鋲グループからはずされた男子どもは、よかった、と安堵していて、残りの女子の、4,5名がターゲットになっている状態だ。

残りの女子にも、なんとなく、伝わっていることがある。

「わたしたちの言うこと聞かないと、最後のターゲットにするよ」

というようなことだ。


全員、服従を誓うが、それでも、最後の日。

たった一人の女子のロッカーに、キラリと光る画鋲が、置かれているのだ。


「なんでわたしなの。ちゃんと言うこと聞くっていったじゃ・・・」

「てめえ、うちらの言うこと聞くとか言っときながら、眼がウソついてんだよ!!」

というようなことを威圧的に言い放ち、お試しの<飼育>が行われる。

「ぞうきんで、○○やれ」

とか、

「○○買ってこい」

は、まだかわいいレベルで、

「○○に向かって、△△って言ってこい」

だの、いろいろとやらされる。

それに非服従だと、徹底的にいじめるぞ、と常に愕かされている。

他の女子は、徐々に追い詰められていく最後のターゲットの悲惨な光景をみながら、

「ああ、わたしでなくてよかった」

と心から安堵する。


クラスの大半が、けっして口を割らない、真実を言えない、おそろしいいじめが、スタートする。

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保護者は、この話をしながら、眼に涙を浮かべていて、

「うちは家庭訪問の最後の日程、最後の時間にしてくださいね」

とわざわざおっしゃった意味がよく分かったのでありました。
わたしは、決められた他の家の家庭訪問を終えて、くたびれて、ようやっとたどりついたご家庭でありましたが、そこでこんな、目の覚めるような話を教えていただいた、というわけ・・・。