朝のスピーチ つたわるか、つたわらないかの差はどこに
毎朝、子どもらは、教室のディスプレイを使って、スピーチをする。
デジカメでうつしてきた写真を、みんなに見せる。
これは、ただ、なにも道具立てがないよりも、はるかにおもしろい。
写真にいったい何が映っているのか、みんなが固唾をのんで、待ち受けている。
教室が、一瞬のちに、シーンとなる。
「ただいまより、ニュースを始めます」
なかには、NHKのアナウンサーを気取って、
「時刻は○時○分になりました。ニュースの時間です」
と始める子もいて、個性があるのがいい。
家でうつしてきた、ちょっとした小物。
お母さんと一緒に作ったホットケーキ。
買ってもらったばかりのプールバッグ。
飼っている犬の姿。
弟の顔、なんてのもあった。
理科で、植物を学んでいるシーズンは、どの子も似たようになる。
登下校中に見つかった、あやしい草。
家の前に咲いている、黄色いきれいな花。
おじいちゃんの、盆栽。
・・・
おそらく、写真のシャッターを押す瞬間、彼や彼女が、なにかを心に宿し、決めて、
「よし、これだ!」
と思い切る。
その、自己決定の「ハラハラ、ドキドキ感」が、ニュースに臨場感を持たせ、おもしろくさせるのだと思う。
だから、なんとなく、ニュースがつまらないとき、
「撮るものがなくて、お母さんがこれにしとき、っていうから撮った」
という場合が、中にはある。
もちろん、
「お、それいいな。お母さんの言ってくれたの、すごくいい!」
と思えて、自ら主体的にシャッターを押す子もいるだろうから、お母さんに教えてもらうこと自体が悪い訳ではない。
ともかくも、その子の内面の、緊張感が出てしまうのが写真というものだろう。
こんな、写真のような道具立てがなくたって、スピーチ自体がおもしろいときもある。
クラスに、スピーチ名人がいる。
なぜかスピーチに臨場感があり、伝わってくる。
それはもう見事で、クラスがその子の声に、すっかりとりこまれてしまう。
教室が、その子の息、呼吸に、すべてぬりつぶされてしまうくらい、面白い。
そう、おもしろい。
なぜかな、と考えてみている。
他の子のスピーチと、一味ちがうところは・・・。
聞く人の目が、すいすいとすいよせられ、いきいきと、
彼女が話すたびに、聴衆に活気がみなぎっていく。
それは、彼女が、自分の中の、「迷い」を出しているからだろう、と思う。
彼女には、まだ小さな、少し変わった弟がいて、姉のやることなすことに興味を持ち、(まあふつうですよね)姉のランドセルにぬいぐるみを詰めたり、朝起きたばかりの姉の上にとびのってきたりする。
姉としてはちょっと、困ることなのだが、そこをまあ、姉らしく、ちょうどよくおさめていくために、彼女なりの工夫でもって、うまくじいちゃんに押し付けたり、軽くかわしたり、あれこれと迷いながら、葛藤しながらも、知恵をしぼる。
これが、話のおもしろいところだ。
たまに、家族をよ~く観察しているからかな、と思って笑っていたが、この間、気がついた。
この子の話は、サザエさんなのだ。
長谷川町子が、気付いて、漫画にしたてあげる。
日常にみえかくれする、人間臭さ、とっぴょうしのなさ、力のぬけた感じ。
サザエさんをはじめ、マスオさん、ワカメ、カツオ、タラちゃん・・・。
あの目線が、この子には、ある。