叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

神様と話したこと

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うちの近所に、小さな神社の森木立が見えるので、わたしはよく散歩がてら、幼い息子と歩くのです。

だんだんと春めいてきたので、ぶらぶらと、進んでいきますと、道すがら、水路のキラキラした水面の様子や、木の葉がそよ風になびく音に、心もぽかぽかしてきたと思って下さい。

するとですね、道端になんとなしに(?)祀ってあった、大黒様の祠が、わたしに向かって

にこにこ

と、遠くからわらいかけてくるのでした。


まあ、そんな陽気ですし、そんな気分があたりにも充満しているので、これは、わたしの心境が投影した結果の作用なのですが、その大黒さんが、のんきな雰囲気で、

「やあ!いらっしゃい」


・・・的なオーラを出しながら、私たち親子に、語りかけるかのよう・・・。




そこで、なにげに私も、心のうちで、話しかけてみます。

「や、どうも」


いわゆる<神様>については私としては割り切っているつもりなので、大黒様だからどう、という何も、わたしには無いため、その程度の挨拶しか出てこないのですが、まあ、近所のおじさんに挨拶する具合。


すると、大黒さんが、

さらにとびきりにこにこしながら、

「お、なんでも頼んでってよ」

というわけね。

(あくまでも、私の中の妄想だ、ということは、頭の半分で理解しながら。・・・ただ、そんなふうな、白昼夢のようなことが、リアルな実感を半ばともないながら、起きていることが、妙でもあり、また新鮮な状況でしたね)

わたしは、こんなこと(つまり、大黒に話しかけられること)は、めったにあることでもないから、ちょっと驚きながら、

「は、はあ。でも、」

と思った。

「頼んで」

という言葉に、ちょっと躊躇したわけ。
それが、大黒様から出てきたことに、かなりの驚きもあったので。


・・・

つまり、

神仏に祈る、ということは、人間にはあると思うけど、

○宝くじに当たりますように
○合格しますように
○お金がどっさり恵まれますように



というような、<ご利益祈願>は、神さまたちの立場からすると、あまりにも人間にとって、虫がよすぎるんじゃないの、とふだん思っていたもので・・・。



それが、大黒様から、むしろサービスのような感じで、

「頼んでってよ!なんでもどうぞ~!」

というふうだったから、そのあまりのノリの軽さに、驚いて立ちすくんだ、という状態。


すると、さすが大黒さま。
わたしの躊躇をすぐに悟ったのか、

「いいんょ、いいんだよぅ。叶っても、叶わなくても、それでどうこう、というのじゃないから、ね・・・。」

わたしが目を点にして、曖昧に微笑しながら頷くと、

「そう、俺だってさ、あーあ、そうなったらいいなあ、って、心で思うだけだもん。聞くだけ、聞くだけよ。そんで、それがそうなるかどうかって、それはもう、べつに、俺がやるわけじゃないしな」

と、非常に馴れ馴れしい口調で、わたしに言った。

「ま、なんだろ。ただひたすら、この世の幸せを願うっちゅうかさ」

そう言って、大黒様、にやり、と笑う。




私は、何かしら、この大黒さまに親近感をおぼえた。

「はあ」

辺りの木立ちに、鳥のさえずりが聞こえ、わずかな芽のほころびが風にゆられて、少しばかり目立って見える。

「春ですものね・・・。いよいよ、野菜も稲も、育ち始めます」

わたしは、きらきらした木立ちを半ば見上げながら、言った。


大黒さまは、陽光に顔を向け、ちょっと空を嗅いだようにすると、ホッとした表情で、

「すごいよね。みんな幸福になるように、なるように、と。そういうことで、進んでいるからね」

満悦しきって、金の小鎚でちょっと、地面をついた。


わたしは大黒さまの創った、トントン、という穏やかな地の響きを聞きながら、少しばかり、地面の下の生き物たちをイメージしつつ、

「見えないところで、みんな、生きようとしてますね」

というと、

「ほぅよ、ほぅよ、みんな、しあわせになるだぃねぇ」

大黒さまの顔は、いつの間にか、地元の農協のお爺ちゃんみたいになって、日焼けしてつやつやした感じになってる。



わたしはもう何も言わず、地面に落ちてた枝をひろって遊んでた息子の手をひいて、そこを離れた。

辻までくると、わたしは振り返って、会釈くらいしようと思ったが、もう、大黒様はきっちりと前を向いて、まじめな石の顔をして、座っているだけ。


大黒様