叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

そして、星の輝く夜がくる ~本の紹介~

.
新間です。
小学校の教師は、特殊だと思います。
理由は、小学生、という年代の子どもたちと、始終一緒にいること。
つまり、私はかなり、小学生から影響を受けています。
子どもからすると、教師は、大人としても特別ですね。親と同じくらい長い間、一緒に喋っているんですから。

一番の問題は、小学校の教師は、矛盾にぶち当たってばかりだということです。
現代の未完成な社会システムと常識に対して、子どもからすると疑問がたくさんあるわけです。
その疑問を、直接ぶつけられる。
自分自身が当然だと思う学級経営をすると、それは社会のシステムや常識とは、かけはなれているわけですから、子どもたちも、

「この教室の常識は、社会常識とは別なんだな」

ということを学んでしまいます。
例えば、文句を言う子のつらさをケアする、ということだったり、成績を良くする前に、機嫌を良くすることを重視したりすることです。
でも、その学級の常識に馴染んでいきますから、馴染めば馴染むほど、

「ねえ先生、なんで常識ではこうなの?」

というふうに、素直に疑問に思ってしまう・・・。





さて、夏休みです。
下記の作品をご存知でしょうか?

『そして、星の輝く夜がくる』(講談社
真山仁・作


なかなかに味わい深い作品です。
阪神大震災で家族を亡くした教師が、3・11以後の東北で小学校に赴任する。

①被災地の子どもの感じる苦しさ。
②福島の原発に勤める父親を持つ転校生のいじめ。
③学校からの避難の最中に教え子を亡くした教師の苦悩。
④ボランティアと地元の人たちとの軋轢。
⑤震災の記憶をどうとどめるか。


どれも、大きなテーマです・・・。

著者が、この小説について書いた文の中から、こんな表現が見つかりました。

なぜ、小学校6年生が登場するのか、という問いに。

「みんなが打ちのめされている状況の中で、正論を一番通せるのは子どもだと思います。今回の作品は、子どもが大人を叱っているのです。登場する子どもたちを小学6年生にしたのは、大人の矛盾を指摘することができ、さらに大人が反論できない指摘ができる年代だからです。子どもだけど、他人を思いやることもできる歳でもあります。」


この、子どもが大人を叱っている、というの、いつも私自身が感じていることと同じですなあ。

6年生は、大人の都合や立場、というのも理解します。
だけど、やはり馬鹿はバカだ、と指摘できる。
素直に考えたら、戦争なんて、だれも欲していないのだから、やらない、と考える。
コネコネと理屈を言われ、他の国の人に殺されるかもしれないのだから、先に殺るんだ、という考えで大人から説得されても、まったくピンとこないし、納得できません。
それが、子どもです。
こんなへんてこりんな説明に納得するのは、大人だけや。

大人になるにつれて、病的になり、不幸になっていく。
「戦争」を仕方ないと考えるのは、すでに病的だし、不幸なのです。

この本を読むと、「幸福」を真正面から考えることになる。
成長と言う名の不幸について、じんわり考えさせられます。

幸福な子どもを、不幸な大人が叱りつける。
不幸になる指導をし、折檻をする場合もあります(体育会系部活の体罰とかね)。
部活動の体罰問題なんかは、幸福な子どもたちに向けて、不幸な大人が腹を立てているのです。
ともかく、すでに相手に対して腹を立てている時点で、不幸なのは大人の方ですよね・・・。


(写真は、目の前に現れた、巨大ナナフシ!)
ナナフシ