叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

人の願いと、その願いに応えることの不足

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足りなさを用意する



足りなさがあることに親がまず気づく



「足りなさ」とは、煎じ詰めれば、モノではない。



「足りなさ」とは、人の願いと、その願いに応えることの不足、である。



「人の願い」に気付いた時点で、それを知った人の心は、もうかすかにも、動き始める。



ところが、「人の願い」というのは、本当につかみにくい、はっきりしない。



心のまなこを、研ぎ澄ませないと、みえてこない、聞こえてこない。



いちばん簡単な対処法は、聞くことである。「どうしてほしい?」



しかし幼い子ほど、口で表現することと、本心がずれていることもあるし、表現できない。



自分は、目の前の、この子の、「願い」を知りえたのだろうか、ということについての謙虚さが、なんとか両者のマッチングを可能にする。



ただ、事柄としての「足りなさ」を用意したらよいのではない。



それは、「不足」を解消しなさい、という命令や、「不足」をなんとかしないと○○になってしまう、という見えない脅迫や、「不足」に対する我慢や忍耐を教え込むことにもつながる危険があるからだ。



目の前の人の、「願い」を聞きたくなる、その環境こそが「足りなさを用意する」のに必要なものだ。


写真は、里いものでかい葉と水滴。
里いものでかい葉と水滴