叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

お母さんの言うこと、聞いて良かった

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スーパーの駐車場。周囲をよく確認してから歩き出すのが普通です。親からしたら、これは当たり前。ウチの子もできると思っています。

「うちの子は大丈夫。先週だって、ちゃんと確認していましたから(‘◇’)ゞ」

ところが、今週になると忘れていて、急に走り出してしまうのが子ども。
走り出すわが子を見て、「ダメッ!」と大声。危険回避のため当然です。
しかし、子どもが幼いうちは、事前に車内で少し確認作業をしておくと、これを防ぐことができます。

「はい。駐車場に着いたよ。何に気を付ける?」

と聞くだけ。

「うん、車!」

「そうだね!車だね。お店に入るまでは歩く?それとも走る?」

「歩く!」

「よかった!お母さんと一緒に歩けば安心だね」


こんな会話があれば、子どもはきちんと、駐車場をお母さんと並んで歩くでしょう。そうしたら、スーパーの入り口で、きちんとその行動を認めます。

「ちゃんと歩いてこれたから、安全だったね!」

ほめ方はこれといって決まりがないので、こう言わなければならないわけではありません。わが子の目を見て、ニコッとほほえむだけで、きちんとメッセージを受け取るお子さんもいるでしょう。それはお母さんが子どもの気持ちにもっともなじむやり方を選べばよいのです。

大事なことは、お母さんが「こうしようね」と「教えた」行動のすぐ後に、お母さんの願いをきちんと受け取ろうとした子どもに向けて、OK!というメッセージを伝える、ということです。直後であれば、そのやりとりの価値を、親子でお互いに確認できます。子どもは、大好きなお母さんが教えてくれたこと、伝えてくれたこと、お願いしてくれたことを、きちんとやりとげたい、と心では思っていますから、自分が無事にやりとげたあと、お母さんがそのことを分かっているかどうか、ちゃんと確認したいのです。

考えが足りなくて、失敗して自分を責める展開と、きちんと方法を学び、やりとげた後にはきちんとほめてもらう展開。どちらが子どもの機嫌は良いでしょうか。

そのうち、子どもから親に、

「分からないから教えて」

と、メッセージを出すかもしれません。
これは、親にとっては助かることです。

高学年になる頃、思春期の前半で、こういうメッセージが出せるようになっていると、その後はたいへんスムーズです。あまり苦労しなくても、親子で意思の疎通ができるでしょう。
子どもが「教えて」というメッセージを出してくるようになれば、うんと応えてあげます。そして、
「困ったら、いつでも言ってね。いい考えが出せるかもしれないし」と言い、困った時には頼ってほしいということを、チャンスがあるたびに伝えることです。

親は、子どもが自分からメッセージを出せたことをほめてやることができます。
やがて、心の中では、「お母さんの言うことを、ちゃんと聞いておいて良かった」という思いが積み重なって貯金されていきます。これは、やはり「必ずきちんと教え、その後ほめていたから」なのです。

ところが、子どもに何も教えず、伝えずにやらせ、失敗したところをすかさず叱る、という展開だと、子どもは息が詰まり、不安が増し、自分を防衛するために、他を責めるようになります。自分以外のもののせいにしないと、身がもたないのです。また、親が決定権をもつことをキツいと感じるようになり、決定権を、親から自分へと奪おうとしはじめます。この親子の攻防はかなりキツいでしょう。「決定権」は親にある、ということ自体は、親子の信頼があれば問題になりませんが、親子間の信頼が薄くなれば、子どもはそれを問題にしたくなるのです。自分自身の誇り(プライド)を守るために。

<教育機関誌に載せた原稿より転載しました>


シラカバの巨木

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