叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

給食のりんごが余りました

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給食はみんな、楽しみにしているものだ、と思うのですが、思い方は、一人ひとり、ちがいます。また、その日の体調でも、気分もちがってくるでしょう。

給食のじゃんけん、というのがありますね。



あるとき、フルーツのりんごが余りました。

ある子がじゃんけんに勝って、もう一つもらえることになったのですが、

「やっぱり、要らない」

教室では、よく、こういったことが起きます。

じゃんけんに勝った途端、急に要らなくなったのです。


人間というのは、つくづく、
計算通り、
予定通り、
ではないものだ、ということを思います。

これを、非難する子もでてきます。

「先生、◯◯くん、せっかくお代わりしたのに、残そうとしているよ」

すると、じゃんけんに負けた子たちから、ものすごいブーイング。

「勝ったのに、残しちゃいけないんだよ」

お代わりした子は、なぜか分からないけど、さっきはあんなに欲しかったりんごが、今となっては急に要らなくなってしまった、そのことに、自分自身も動揺しています。みんなからも責められるし・・・

ところで、ひとは、なぜ、「間違い」を見つけて、非難したくなるのでしょう。



りんごは、2番目に勝った、Sくんがもらうことになりました。

すると、実はこの事件の背景、水面下で、

◯◯くんがSくんと取引しているか、あるいは一方的に、脅されてまきあげられたのではないか?

という疑惑が生じます。

事態はドロドロの、疑惑に次ぐ疑惑。
ロスの三浦さんも真っ青な、疑惑の5時間目になだれこんでいきます。

だれも◯◯くんの本当の気持ちがわからないのに、


なぜだか攻めたくなる、

責めたくなる、

落ち着かなくなる。





こんなはずではなかったのに、ということ、よくありますね。

わたしは、こういうとき、

なんで、人間はこういうことがあると、落ち着かなくなるんだろう

ということを思います。

そして、算数やら社会の授業はほって置いて、子どもたちとともに、そっちの研究に入ってしまう。

なにか、センサーが動くのです。

このことが、実はとても大事な勉強になるのではないか、という予感です。

わたしは、急遽、5時間目を「学級会」にしてしまいます。


つづく
フルーツがあまった