教員は「社会モデル」と「医学モデル」のはざまで
.
職場でさかんに、このこと(↓)を聞いて回っている。
という質問。
社会モデルとは、
足の不自由な人のために、スロープをつくることが大事
という発想のことで、
医学モデルとは、
足の不自由な人のために、リハビリさせることが大事
という発想のことであります。
さて、うちの学校の先生たちは、どっちが大事だと判断したのでしょう。
実は、これはみなさんの予想どおりです。
つまり、
どっちも大事。
・・・ま、当然、そうお答えになるでしょうね。
先生たちは、どっちも大事で、両方を進めるべきだ、という人ばかりでした。
ほぼ全員、それを即答しました。
予想通りです。
その後、でも、どっちか、
少しでも大事だと思うのはどっちか、無理やりでも決めてください!
と、少々乱暴なお願いをしてみました。
さて、どっちだと思いますか?
これを読んでいるあなたの予想は、どうでしょう?
「先生たちはこっちを大事だと判断したんじゃないかな」
と決めることができましたか?
おそらくその答えには、ご自身の判断も、多少は反映されているのではないかと思います。
では、ふたつめの質問です。
なぜあなたは、そう判断したのでしょう?
先生たちは、そっちを選んだのだろうな、と決めた瞬間、あなたの脳裏によぎった判断の根拠とは、何だったのでしょうか。
なぜ、そう考えるのか。
根拠は?
では、先生方の、お答えになったことを書きます。
答えは、なんと、
「社会モデル」
でありました。
なぜか。
それは、おそらく、小学校の先生だから、ということなのでしょう。
つまり、
小学生を相手にしている先生たちは、
できる・できないは、子どものせい、ではない。
というのが、根底にあるからではないでしょうか。
これが、大人相手だと、
足が不自由なのは、自分の努力不足だ。
治そうと治療のための努力をまずはしていくことが大事だ。
というふうに、判断が変わっていくのだろうと推測します。
一概には言えないことは確かでしょうが、
わたしは、社会モデルに点数をつけるとしたら、100点をつけますね。
対して、医学モデルは、せいぜい5点。
医学モデルは、
人生は、努力によってなんとかするもの
という匂いがぷんぷんします。
でも、おそらく、人生は、そういうもの、ではない。
人生は、お互いがお互いの願いを聞き合うもの。
・・・だ、と思います。
まずは、ね。
わたくしと同じように、学校の教師をしている人でも、わたくし(新間)とは、まったく反対の点数をつける人もいるでしょうが・・・。
この
「社会モデル」と「医学モデル」の考察は
これからの子どもたちの進路を決めるのに、大事になってくる。
キャリア、進路を考える際に、子どもたちの生き方の、その根底にふれるものだろうと思います。
キャリア教育は、この考察から始めるのが、大事なのではないかと思います。
「社会モデル」を大切だと思う子は、そういう進路をとる。
「医学モデル」を大切だと思う子は、そういう進路にすすめばいいのです。
そして、自分はどうしてそちらの進路を選んだのか、自分が根拠にしている思想のよりどころを、きちんと自分で把握しておくことに、価値があるのだろうと思うね。
自分で、そうやって客観的に、自分の立場を知っておくことに、大きな価値がある。
職場でさかんに、このこと(↓)を聞いて回っている。
「社会モデル」と「医学モデル」の、どちらが重要だと思うか。
という質問。
社会モデルとは、
足の不自由な人のために、スロープをつくることが大事
という発想のことで、
医学モデルとは、
足の不自由な人のために、リハビリさせることが大事
という発想のことであります。
さて、うちの学校の先生たちは、どっちが大事だと判断したのでしょう。
実は、これはみなさんの予想どおりです。
つまり、
どっちも大事。
・・・ま、当然、そうお答えになるでしょうね。
先生たちは、どっちも大事で、両方を進めるべきだ、という人ばかりでした。
ほぼ全員、それを即答しました。
予想通りです。
その後、でも、どっちか、
少しでも大事だと思うのはどっちか、無理やりでも決めてください!
と、少々乱暴なお願いをしてみました。
さて、どっちだと思いますか?
これを読んでいるあなたの予想は、どうでしょう?
「先生たちはこっちを大事だと判断したんじゃないかな」
と決めることができましたか?
おそらくその答えには、ご自身の判断も、多少は反映されているのではないかと思います。
では、ふたつめの質問です。
なぜあなたは、そう判断したのでしょう?
先生たちは、そっちを選んだのだろうな、と決めた瞬間、あなたの脳裏によぎった判断の根拠とは、何だったのでしょうか。
なぜ、そう考えるのか。
根拠は?
では、先生方の、お答えになったことを書きます。
答えは、なんと、
「社会モデル」
でありました。
なぜか。
それは、おそらく、小学校の先生だから、ということなのでしょう。
つまり、
小学生を相手にしている先生たちは、
できる・できないは、子どものせい、ではない。
というのが、根底にあるからではないでしょうか。
これが、大人相手だと、
足が不自由なのは、自分の努力不足だ。
治そうと治療のための努力をまずはしていくことが大事だ。
というふうに、判断が変わっていくのだろうと推測します。
一概には言えないことは確かでしょうが、
わたしは、社会モデルに点数をつけるとしたら、100点をつけますね。
対して、医学モデルは、せいぜい5点。
医学モデルは、
人生は、努力によってなんとかするもの
という匂いがぷんぷんします。
でも、おそらく、人生は、そういうもの、ではない。
人生は、お互いがお互いの願いを聞き合うもの。
・・・だ、と思います。
まずは、ね。
わたくしと同じように、学校の教師をしている人でも、わたくし(新間)とは、まったく反対の点数をつける人もいるでしょうが・・・。
この
「社会モデル」と「医学モデル」の考察は
これからの子どもたちの進路を決めるのに、大事になってくる。
キャリア、進路を考える際に、子どもたちの生き方の、その根底にふれるものだろうと思います。
キャリア教育は、この考察から始めるのが、大事なのではないかと思います。
「社会モデル」を大切だと思う子は、そういう進路をとる。
「医学モデル」を大切だと思う子は、そういう進路にすすめばいいのです。
そして、自分はどうしてそちらの進路を選んだのか、自分が根拠にしている思想のよりどころを、きちんと自分で把握しておくことに、価値があるのだろうと思うね。
〇いまは、「医学モデル」を大事だと思うから、そういう仕事を選びたい。
〇いまは、「社会モデル」に根拠を置く仕事に就きたい。
自分で、そうやって客観的に、自分の立場を知っておくことに、大きな価値がある。