叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

人間は戦争をする運命の動物か、それとも知恵があるのか

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なにか特別なことをしていかないと、平和な世の中にならない?

・・・嘘だよ。

逆だよな。

人は、余計なことをしなければ、平和だと思う。

友達と仲良く遊びたい、と思わない子がいないのが、その証拠だ。





黙っていたって、みんなで遊んで、仲良く過ごしたいんだもの。

笑って楽しく過ごすのがイヤだ!・・・って、遊びを拒否する小学生にお目にかかったことがない。

虐待で親を恨み世を恨み、相当な思い込みで生きている子だって、拳でつっかかってくるような子だって、心の底で、寂しさをきちんと感じている。裏返して、安心したい、という気持ちで生きているものね。



自衛隊が、初めて、人に向かって実弾を発射する日。
相手の死傷を願って。



このような「事件」が起きると、歴史が動くわけで・・・。

弾を撃つ、ということについて、その銃弾のとんだ先に、人がいる、ということについて、道徳の教科書で最初に扱うようになるのかもね。このままいくと。

「低能で役立たずのコンコンチキで、私利私欲の業突く張り、悪魔の形相で自分の利益ばかり考えている悪いやつ、迷惑をかけて人を傷つけて構わず涼しい顔をしている、怠け者で礼儀知らずのならず者は、殺してよい

ということを、教えるの?

・・・それが平気、という人になってもらわないと、戦場の下僕となって動く人がいないわけだから。

でもきっと、そんな子、ひとりもいない。

「相手をたたく子は、自分を守ろうとして必死な子」
こんな話、小学生でも分かるもの。
なにかの傷や痛み、辛さを抱えた子が、淋しさをこらえきれずに人を傷つけているんだ、ということ。
小学生でも、薄々分かってることなんで・・・。
自分勝手でならず者の悪魔のような奴が一番、淋しくて困っているんだ、ということ。

そして、ならず者なんて、本当はいないってこと。

こういう話ばかり、学級でしているんだもの。

自分から人殺しに行きたい子なんて、いないに決まってるよね。



人が、
なぜ、領土にこだわるのか。
なぜ、相手に求めるのか。
なぜ、正義と理屈を使って、相手を責めるのか。
なぜ、自分が被害を受けるだろう、ということばかり言いたがるのか。
なぜ、自由、自由、と叫ぶのか。




いったい、どういう不安が、こうした強迫的な行動の動機になっているのか。

そこから、話を始めないと、各国では皆兵が当たり前だからそうしよう、なーんていう単純な思考と論議にまきこまれていく。

カラスアゲハの背中の光沢2