叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

こうするべきだ、が暗くなるワケ

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「あなたの生き甲斐、夢は?なに?」

と、追い込む社会機構、社会システムは、暗いと思うんだよね。

なぜだろう。

わたしゃ、なんだか、そう思う。




ときおり、ふと、

「マスコミが暗くなるのは、どうしてもそういう雰囲気があるからかな~」

と考えることがある。



「こうするべきだ、というの、どこからくるのだろう」

いつも、それをとりとめもなく、考え続ける。


なぜ、ひとは、そう言いたくなるのだろうか、ということ。

なにかを強く言い切ると、なんとなしに、自分が強くなってる気がしない?

強く言い切ると、一瞬つかの間、ホッとできるような気になるからかなー・・・。


反対!というのも、わたしゃ反対とは言わない!と頑張るのも、法案ぜったい推進!と言い切るのも、

ぜんぶ、同じこと。

楽じゃないのはすべて、間違ってる、と思う。



また、

「そういうことは、言わない方が良い」

というの、やっぱり人を縛ろうとしてるでしょう。

安部さんが、何を言おうが、自由。

自分も、何を言おうが、自由。

人を縛ろうったって無理なのにやろうとするから、歪む。




善をなせ、
悪を懲らしめよ

↑これも、楽じゃない。


まず、善悪、という考え方そのものが、きっつい。
このキツーい考えを前提にしよう、というだけで、もう大多数の人がついていけない。

勧善懲悪が分かりやすいという人いるけど、
麻薬のようなもので、ただ痺れてる感覚だけのもの。


みんな、自信たっぷりになりたい、ってね。

自信を得たい、というの、相当つよく、世の中の人の多くにはびこっている。

自信ある、という人の「自信」は、どんなものか。

未来永劫か、それともいつか、揺らいじゃうような自信なのか。



日本人は、強く言い切れるものを、欲しているようだ。


強く言い切りたい病。
言い切りたくなるような言葉を、いつもいつも、探し続ける・・・いつまでも、という人生。

アケビコノハの幼虫3