叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

保護者の、「学校に対する思い」をきく

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「お母さんがしっかりしないから、お子さんが学校でこうなるんですよ」

というの、たまに聞きますね。

これを、『母親責任説』と言います。

『母親責任説』は、現代ではすでに解消され、歴史の足音と共に人類はここから卒業しつつあります。

この『母親責任説』を語る方に、わたしはゆっくりとこう説明する。

「そういう母親を育てた人がいるんで、元凶がいるんだとしたら、その母親を育てた周囲の人でしょうね。ま、結局は、この社会全体が悪いんでしょうな」

するとさっきまで、いきり立って母親のせいだと豪語していた方は、即座に黙ってしまいます。


さて、お母さん自身も、振り返れば学校と言う空間で、長期にわたって教育を受けてきたわけです。もし、その国家的教育が成功しているとするなら、現状の

「お母さんがしっかりしないから・・・」というのは成り立たなかったはずです。

いわば、世間的にいう「しっかりしたお母さん」という姿に、どの人も成長しているはずなので・・・。



さて、お母さんのせいにはできません。

お母さんの話を、親身になって聞いてあげて、丸抱えで否定せずに受けている、という人がいるだろうか。

学校にそういう人がいない限り、学校とお母さんの距離は縮まらないし、解決はないでしょうね。

で、お母さんも、学校のせいにしない。
お互いに、責任の追及をしないのです。(←こういうことできる人は貴重)

たがいに、どこに責任があるのか、と考えていく道をたどらない解決の仕方。


それを進めているのであれば、

「お母さんがしっかりしないから、お子さんが学校でこうなるんですよ」

という前近代的なセリフが、いかにおかしなものか、みんな分かると思う。



保護者も子ども同様、さまざまな背景を持っている。
保護者が子ども時代にどのような学校生活を送ってきたか。
それが、子どもと先生との関係に実に深くかかわっている。

教師の多くは、おそらく学校自体にプラスの思いや体験を持っているのだと思う。
だから、学校という職場を選んだのだろうし、そこでの仕事に従事しているのだろう。
ところが、保護者は必ずしも、そうではない。

マイナスの体験の持ち主も、いるのだろう。それが当然だ。

「いじめにあった」「不登校体験をした」「先生からの差別があった」

小学校の頃の、お母さん自身の思い出を聞けば、そうしたことだって、あるのだろうと思う。



そうした場合、教師と保護者との関係は、おそらく、地下100mくらいからのスタートになる。

そのままズブズブと沈んでいくのか、どうか。
なにかきっかけがあり、相互の理解が深まり、互いの意見のよさも聞き合うことができると、ようやく0m地点に浮上してくるのだろう。

地上に教師とお母さんが浮上してきたとき。
このとき、おそらく、子どもの「いわゆる問題行動」も、相当に変質し、解消できているでしょう。



教師は、子どもを通して、お母さん自身に関わっていく。

お母さんに、連絡帳を通して、話しかけていくときがある。
お母さんの子どもへの「関わりのよさ」を、互いに喜び合おうとして、働きかけていく。そして、お母さん自身に、少しでもプラスの学校体験をしてもらおう、という思いで接するのである。

お母さんが、学校のプラス体験を獲得しなおすこと。
そこを、考えると・・・

「お母さんがしっかりしないから、お子さんが学校でこうなるんですよ!」

このセリフが、いかに的外れなアプローチなのか、いかに論点がずれているのか、傷口に沁みるように理解できるはず。


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