蝶の標本づくり
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4年生の男の子たちに、いきなり学校中で声をかけられるようになった。
それは、
「あの先生は、昆虫の先生らしいぞ」
という噂がひろがったためだと思われる。
出勤前の朝。
他の教師がめったに顔を出すことのない、学校裏の雑木林に行くと、ひょっこりと4年生くらいの男子と出会った。
学校が始まる前、登校の途中にぶらりと立ち寄った感じで、お互いに
「あっ」
「あっ。おはよう」
「・・おはようございます・・・」
という微妙な空気のやりとりしかしていない。
登校途中に寄り道をしているということがあるのか、あまり大きな顔をしていない。
ちょっと遠慮がちに、顔を伏せつつ、チラチラと柳の枝など見ながら、サッと行ってしまった。
こっちは蝶の幼虫が目的だから、あれこれと枝の先やら葉の裏などみて、これまたサッと。
そのくらいなのに、いつの間にか、
「なんで先生、あそこの林にいたの?」
と聞いてくるばかりか、
「なんか探してた」
「虫の先生だ」
「あの先生にはなんか秘密があるらしい」
というような噂が、煙のごとく立ち込めたようだ。
そこで、わたしが正直に
「エノキの木に、蝶の幼虫がいないかなあ、と探していたんだよ」
と言うと、
「クワガタじゃないのか」
とつまらなそうな顔をする子もいるかわり、
「蝶をどうするの」
という子もいて、
「標本にするのだよ」
それを聞いて、
「ぼくにもやらせて!」
ここまでは、小学校4年生の少年であれば、当然の心境でありましょう。
それで、業間の休み時間に4年生が6年の教室までやってきて、わたしが標本をつくるところを見せてやると、一気に興奮度、ボルテージがマックスに到達したらしく、
「あの先生に蝶を渡すと、標本にするらしい」
「ひょうほんってなに?」
「なんか、箱にいれてかざろうとしてるらしいぞ」
「なんかへんだぞ」
・・・
ついに、休み時間に、蝶をつかまえて持ってきてくれる子が出始めた。
わたしは自分で蝶をつかまえずともよくなって、人はずいぶん私が楽をしただろうと思うだろうが、真実はそうではない。
子どもが手のひらにおさめて持ってくる蝶は、触覚は取れ、羽は裂けて、おまけに鱗粉がほとんどとれてしまっている。
アミがないから、帽子でとり、さらには手のひらに強引におさめて、ベタベタと何度も羽を持ちかえながら来るから、そうなってしまう。
わたしはそれでも、彼らの蝶を標本にしてやる。
生きた蝶に展翅針をさし、羽を展翅テープでのばしてとめていくと、息をつめていた4年生から、
ほうっ
とため息がもれる。
自分の蝶が、これで超カッコよく、標本になるのだ。
それを見届けて、大満足なのである。
「先生、これなんて蝶?」
「なんて蝶だろうなあ。なんだろう?」
正解は、ただのモンシロチョウのメスである。
しかし、4年生にとっては、確信がもてないらしい。ちょっと翅が黄色いだとか、妙に黒く見えるだとかで、これはモンシロチョウかどうかさえ、議論が起こる。
わたしは、この議論を巻き起こすために、ここまでのことをしているような気がする。
次の日の朝、教室へ行くと、6年の教室なのになぜか4年生が座っていて、
「先生、あれ、モンシロチョウのメスだよ」
「ああ、あれ、モンシロかあ。モンシロの雌(メス)かあ」
わたしは知らんかった、というようなふうに言う。
そして、
「じゃあ、今度は、雄(オス)がほしいなあ。メスだけだと・・・、なあ」
「うん、わかった!!」
4年生は次なるミッションへと動き出す。
4年生の男の子たちに、いきなり学校中で声をかけられるようになった。
それは、
「あの先生は、昆虫の先生らしいぞ」
という噂がひろがったためだと思われる。
出勤前の朝。
他の教師がめったに顔を出すことのない、学校裏の雑木林に行くと、ひょっこりと4年生くらいの男子と出会った。
学校が始まる前、登校の途中にぶらりと立ち寄った感じで、お互いに
「あっ」
「あっ。おはよう」
「・・おはようございます・・・」
という微妙な空気のやりとりしかしていない。
登校途中に寄り道をしているということがあるのか、あまり大きな顔をしていない。
ちょっと遠慮がちに、顔を伏せつつ、チラチラと柳の枝など見ながら、サッと行ってしまった。
こっちは蝶の幼虫が目的だから、あれこれと枝の先やら葉の裏などみて、これまたサッと。
そのくらいなのに、いつの間にか、
「なんで先生、あそこの林にいたの?」
と聞いてくるばかりか、
「なんか探してた」
「虫の先生だ」
「あの先生にはなんか秘密があるらしい」
というような噂が、煙のごとく立ち込めたようだ。
そこで、わたしが正直に
「エノキの木に、蝶の幼虫がいないかなあ、と探していたんだよ」
と言うと、
「クワガタじゃないのか」
とつまらなそうな顔をする子もいるかわり、
「蝶をどうするの」
という子もいて、
「標本にするのだよ」
それを聞いて、
「ぼくにもやらせて!」
ここまでは、小学校4年生の少年であれば、当然の心境でありましょう。
それで、業間の休み時間に4年生が6年の教室までやってきて、わたしが標本をつくるところを見せてやると、一気に興奮度、ボルテージがマックスに到達したらしく、
「あの先生に蝶を渡すと、標本にするらしい」
「ひょうほんってなに?」
「なんか、箱にいれてかざろうとしてるらしいぞ」
「なんかへんだぞ」
・・・
ついに、休み時間に、蝶をつかまえて持ってきてくれる子が出始めた。
わたしは自分で蝶をつかまえずともよくなって、人はずいぶん私が楽をしただろうと思うだろうが、真実はそうではない。
子どもが手のひらにおさめて持ってくる蝶は、触覚は取れ、羽は裂けて、おまけに鱗粉がほとんどとれてしまっている。
アミがないから、帽子でとり、さらには手のひらに強引におさめて、ベタベタと何度も羽を持ちかえながら来るから、そうなってしまう。
わたしはそれでも、彼らの蝶を標本にしてやる。
生きた蝶に展翅針をさし、羽を展翅テープでのばしてとめていくと、息をつめていた4年生から、
ほうっ
とため息がもれる。
自分の蝶が、これで超カッコよく、標本になるのだ。
それを見届けて、大満足なのである。
「先生、これなんて蝶?」
「なんて蝶だろうなあ。なんだろう?」
正解は、ただのモンシロチョウのメスである。
しかし、4年生にとっては、確信がもてないらしい。ちょっと翅が黄色いだとか、妙に黒く見えるだとかで、これはモンシロチョウかどうかさえ、議論が起こる。
わたしは、この議論を巻き起こすために、ここまでのことをしているような気がする。
次の日の朝、教室へ行くと、6年の教室なのになぜか4年生が座っていて、
「先生、あれ、モンシロチョウのメスだよ」
「ああ、あれ、モンシロかあ。モンシロの雌(メス)かあ」
わたしは知らんかった、というようなふうに言う。
そして、
「じゃあ、今度は、雄(オス)がほしいなあ。メスだけだと・・・、なあ」
「うん、わかった!!」
4年生は次なるミッションへと動き出す。