ひとと人は、話せば通じるもの・・か?
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さて、先週の社会の授業。
めあては、「憲法の3つの柱を確認しよう」
〇国民主権
〇基本的人権の尊重
〇平和主義
現憲法の平和を希求する、とはどういうことか。
議論がとまりません。
白熱しました。
なぜかというと、2派に分かれたからです。
一つは、
中国(などの他の国)の人と、話し合うことができる、というポジティブ派。
もう一つは、
中国(などの他の国)の人とは、話し合うことができない、というネガティブ派。
ポジティブ、ネガティブ、というのは、いったい何に関して言うのかというと、
人とは分かり合えるもの
という点の姿勢について、であります。
つまりこれをまとめてみると、
うちのクラスは、
「ひと肯定派」
と
「ひと恐怖派」
の2派に分かれたことになる。
この溝が深すぎて、これは超えられない、という意見が出たのは、
「ひと恐怖派」
からでありました。
溝が深い、と感じている割合が高いのは、恐怖派の方に多く、
肯定派はそれほど溝を感じていない。
(つまり、説得できる、もしくは、恐怖派とも分かり合えると思ってる)
ただし、討論中において、ほぼ主張に力のあったのは、実は
「恐怖派」
の方でありました。
歯切れがよく、主張に一貫性があり、
〇恐怖は存在する
〇その恐怖から、くにを守らなければならない
〇だから、軍備が必要だ
という3段論法で、常に語り掛けていたので、同じ「恐怖派」の結束は固かったです。
で、その力強い主張に、どうやって答えていいものか、と迷いが見られたのが、「肯定派」でした。
きちんと、自分たちの意見を主張できない感じがありました。
とくに、
「だって、攻められたらどうするの?」
ということについて、どうやって答えたらいいのか、と迷いがある。
しかし、軍備を持つことについて、なんだか
生理的に
受け付けないのであります。
だから、こちらも意見を簡単には変えない。
もうひと押し、ということで、「恐怖派」から
「では意見を変えてはどうですか」
と畳みかけたけど、
「いや・・・まだ変えません」
と言っていた。表情は苦しそうに。
わたしはここまでの話し合いになると思っていないから、もうこの学習はこれでいいと思うし、
憲法ってなんだろう、ということの<学習のめあて>は達成しているので、これで終わりにする。
憲法の3つの柱、平和憲法とは何か、ということの学習はこれでいいだろう、と思う。
で、思ったのは、
「なんで、人は、不安になるのだろうか」
「なぜ恐怖を感じたら自分を守ろうと考えるのだろうか」
「なぜ自分を守るために他を攻撃する、と考えるのだろうか?」
ということ。
そもそも、恐怖・不安とは何か、ということについての、つっこんだ思考はできていない、ということ。
それをしないでおいて、いきなり『平和』を考えても、理屈のこねあいになるだけだ、と実感しました。
こういうこと、つまりは、<恐怖・不安の正体>について考えていかないと、
『平和』のことだって
まともには考えられないと思うね。
「〇〇をしないと不安」になるのはなぜ?
いったい、何から何を、守ろうとするの?
〇〇をしないと不安、という人は、
〇〇をすれば、幸福になれるの?
↑ これを、つっこんで、考えないと。
さて、先週の社会の授業。
めあては、「憲法の3つの柱を確認しよう」
〇国民主権
〇基本的人権の尊重
〇平和主義
現憲法の平和を希求する、とはどういうことか。
議論がとまりません。
白熱しました。
なぜかというと、2派に分かれたからです。
一つは、
中国(などの他の国)の人と、話し合うことができる、というポジティブ派。
もう一つは、
中国(などの他の国)の人とは、話し合うことができない、というネガティブ派。
ポジティブ、ネガティブ、というのは、いったい何に関して言うのかというと、
人とは分かり合えるもの
という点の姿勢について、であります。
つまりこれをまとめてみると、
うちのクラスは、
「ひと肯定派」
と
「ひと恐怖派」
の2派に分かれたことになる。
この溝が深すぎて、これは超えられない、という意見が出たのは、
「ひと恐怖派」
からでありました。
溝が深い、と感じている割合が高いのは、恐怖派の方に多く、
肯定派はそれほど溝を感じていない。
(つまり、説得できる、もしくは、恐怖派とも分かり合えると思ってる)
ただし、討論中において、ほぼ主張に力のあったのは、実は
「恐怖派」
の方でありました。
歯切れがよく、主張に一貫性があり、
〇恐怖は存在する
〇その恐怖から、くにを守らなければならない
〇だから、軍備が必要だ
という3段論法で、常に語り掛けていたので、同じ「恐怖派」の結束は固かったです。
で、その力強い主張に、どうやって答えていいものか、と迷いが見られたのが、「肯定派」でした。
きちんと、自分たちの意見を主張できない感じがありました。
とくに、
「だって、攻められたらどうするの?」
ということについて、どうやって答えたらいいのか、と迷いがある。
しかし、軍備を持つことについて、なんだか
生理的に
受け付けないのであります。
だから、こちらも意見を簡単には変えない。
もうひと押し、ということで、「恐怖派」から
「では意見を変えてはどうですか」
と畳みかけたけど、
「いや・・・まだ変えません」
と言っていた。表情は苦しそうに。
わたしはここまでの話し合いになると思っていないから、もうこの学習はこれでいいと思うし、
憲法ってなんだろう、ということの<学習のめあて>は達成しているので、これで終わりにする。
憲法の3つの柱、平和憲法とは何か、ということの学習はこれでいいだろう、と思う。
で、思ったのは、
「なんで、人は、不安になるのだろうか」
「なぜ恐怖を感じたら自分を守ろうと考えるのだろうか」
「なぜ自分を守るために他を攻撃する、と考えるのだろうか?」
ということ。
そもそも、恐怖・不安とは何か、ということについての、つっこんだ思考はできていない、ということ。
それをしないでおいて、いきなり『平和』を考えても、理屈のこねあいになるだけだ、と実感しました。
軍隊を整備しないことの不安
銃をもたないことの不安
攻撃しないことへの不安
自分が強いというイメージを持てないことへの不安
「お前は弱い」と言われることの不安
こういうこと、つまりは、<恐怖・不安の正体>について考えていかないと、
『平和』のことだって
まともには考えられないと思うね。
「〇〇をしないと不安」になるのはなぜ?
いったい、何から何を、守ろうとするの?
〇〇をしないと不安、という人は、
〇〇をすれば、幸福になれるの?
↑ これを、つっこんで、考えないと。