叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

「事実」と「感想」を分ける授業~ イースター島にはなぜ森林がないのか~

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〇事実と意見(感想)を分ける
という「めあて」がある。
これが、面白い。子どもたちも、目がキラキラしてきて、ずいぶんと盛り上がる。

うちの学校は、国語の教科書は、東京書籍を使っているが、そこに
イースター島にはなぜ森林がないのか
という、説明文の単元がある。
「事実と意見を区別しながら文章を読み,それに対する自分の考えをもつ」

というのが、ここでの大きな目標となる。

イースター島には、かつて豊かな森林があった。
考古学の研究により、世界最大のヤシの木をはじめとして、かつては全島が熱帯雨林の大森林だったことが判明している。
しかし、いつの頃からか、その森林がすっかり消えてしまう。
今は、草しか生えていない。その間、わずか数百年。
いったい、何が起きたのだろうか。

子どもたちは、興味津々で読み進んでいく。

モアイ


筆者は、島の歴史をたどっていくことで、その原因をさぐろうとする。

序論で、概要としてのイースター島の紹介がある。
ついで本論で、森林がなくなった原因が書かれる。
そして結論で、筆者が主張すること、このイースター島の歴史から、われわれ人間が学ぶべきこととはいったい何なのか、ということが書かれている。

序論と本論では、いわゆる「事実やデータ」が多く述べられている。
現在、イースター島という島を、人間がこう見ているのだ、ということがくわしく書かれている。
そして、本論では、それらの事実から、筆者がこう思う、こう考える、という主張、意見、感想が述べられていく。

ここまでは、子どもたちもわりとハッキリと、

「ああ、事実だー」
「ここは、感想だー」

という具合に、さっぱりと分けることができていた。

ところが、難しいところがあった。
結論部である。
森林がなくなったあとのイースター島の様子について、書かれているところ。
そこに、事実と筆者の意見が、織り交ざるようにして書かれた文がある。
一見、事実っぽく書かれているかのようで、文の最後には筆者の意見が書かれているところ。ここが難しい。

「えー、事実かなあ?」
「これって意見? わからない・・・」


あれこれと言い合っているうちに、クラス一の秀才君がこう発言した。

「文の最後をみればいいんじゃない?」

つまり、
「~である。」「~だ。」

と書いてあれば、事実っぽい。

そして、
「~だろうか。」

となっていたら、どうも意見っぽい。



なるほど、なるほど・・・。

この判定法だと、かなりいい線までいける気がする。


また、猫の好きな Uさんが言うには、

「事実は確かめられるけど、意見は確かめられるとはかぎらない。」

だそうだ。

これも、なるほど!と、クラス一同が納得できる話であった。




このあと、時間がぎりぎりになったので、後半につづく、ということにして、

「いま、教室に居て、みんながわかる事実って何だろう?」

というと、勝手にノートに書いていたが、男子が書いたのには

「先生は男だ、というのは、事実」

というのがあり、それは確かめようと思えば確かめられるので、事実であろう、ということになった。

しかし、ストーブについている温度計表示が「16」を示しているので、

「今の温度は16度、というのは事実」

という、ある一人の女子が書いたのについては、

「温度って、確かめられるの?」

という疑問が出て、

「本気になって、正式なやり方で確かめようとすれば確かめられるけど、今、現にこの教室の中が16度かどうかって、それはちょっと分からないから、事実だとは言えない」

という子が出て、そこが面白い。