叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

コミュニケーションの力を育む授業~普通名詞でなんという~

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コミュニケーションの力とは、いったい何か。
何をさして、コミュニケーション、と言っているのか。

ひと言でいうと、「ひとを尊重する」ということ。
それが、できるかどうか、だと思う。

「尊重」という言葉。
この言葉は子どもたちに、響く。

「尊重するって、むずかしい言葉だけど、みんなはどんな感じで思ってる?」

大事にする、大切にする、ぜったいに邪魔をしない、きいてあげること・・・
子どもたちは自由にいろいろと、そこからイメージをひろげる。


「当たり前のこと。ふつうのこと」

こんな意見まで、出てくる。

なるほど。

ひととして、ひとを尊重するのは、当たり前か。
そうだよね、自分を大事にするっていうことも、含まれるもの・・・。

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話すこと、聴くこと、伝えること、書くこと、読むこと。
コミュニケーションというと、このような具体的な力もあるだろう。
しかし、もっとも根幹にあるのは、この、

「相手を尊重する感じ、自分を尊重する感じ」

なんだと思う。

しかし、このことを示す『言い方』が、ない。
「共感」もいいけど、それより以前のもの。「共感」よりも、前にくるもの。
「信頼」もいいけど、それより絶対的に無条件で無くならず、たしかにあるもの。
「自尊」もいいけど、それよりももっと普遍的で他者を含む、あまねく広がりを感じさせるもの。
「愛」という言葉は、もう手垢でマックロ。残念だけど、使えない言葉になっちゃったし・・・。

日本語で、いい言葉が見つからない。
おそらく、一般名称がないのだろう。今ある普通名詞のなかに、いちばんしっくりくる言葉が、見つからない。


これは、日本人にとってとても不幸なことで、言葉が人間の基本的な思考の枠を決めていくのだから、当然、普通名詞があるべきだろう、と思う。

いったい、どういえばよいのだろうか。
「相手を尊重する感じ、自分を尊重する感じ」

これが自分の気持ちの中に、そしてコミュニティの中に、充満してくることの幸せを知ったら、人間誰しも、楽しくて仕方がないことだろうと思う。

言葉を、みつけたい。
すでにあるのであれば、知りたい、と切に思う。

(あるいは、つくる、べきなのだろうか?)