叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

わざわざ言わなくてもいいこと

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あるブログで、おもしろい記事を見つけた。
学校で、わたしが常々、思っていることを書いてくれている気がした。

【わざわざ言わなくてもいいこと・ワタナベ薫】
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いくつか、事例があるので、楽しくてならない。

以前、似たようなことを、みんなで考えたことがある。


【発問】

だれかが、「これ、好き!」と言っているときに、「わたしはそれ、キライ」と言う人がいます。

どう思いますか?


この筆者のワタナベ薫さん、という方は、

「そんなことはいちいち、言うものじゃない」


と言っている。

子どもたちは、最初、

「そんなことは分かるけど、でも、言いたくなる」

と。


なるほど。

そんなことは、言われなくても分かっている、と。

だけど、なぜか言いたくなる。

で、言ってしまう。なにが問題なのか。


ある子が言った。
〇場の空気がまずくなる。

〇せっかく「好き」と言った人と、気持ちが通わなくなる。

「えー、わたしはキライだな」

と言った瞬間、気持ちが通わなくなるんだって。

そういうこと、ある?


しばらく考えて、

「うん、うん、そうかも・・・」という感じ。



気持ちが通わなくなる、という気がする人?

(学級の、ほぼ全員が手を挙げる)



じゃあ、なんで、言いたくなっちゃうんだろう。

「わたしも言いたいから」

「自分のことを、言いたくなるから」




ここが不思議。

Aさんが、「好きだ!」と自分の気持ちを表明した。

ついで、

Bさんも、「きらいだ!」と自分の気持ちを表明した。



どちらも、自分の気持ちをただ単に表明しただけ。

なのに、どこか違う。



Bさんの発言は、なんだかその場の空気を変えてしまう。

なにかしら、くいちがいのようなものが、違和感のようなものが、その場に残る。

なんだろう、その感じ・・・。


実は、Aさんの会話が、まだ終わっていないのだ。

Aさんは、自分の気持ちが十分に伝わり切っていないうちに、Bさんの会話が始まったから、それが不完全燃焼の理由なのだろう。

Aさんの気持ちが、十分にBさんに伝わったうえでなら、Bさんの

「わたしはキライやなー」

というセリフも、まったく違和感がなくなる。


ああ、そうなん?

Bさん、なんでキライなんやろ。

へえへえ、ふんふん。ああ、そう。


お互いの好みを言い合うことが、おしゃべりの楽しさにもつながる。


だから、ワタナベ薫さんが、「そんなことは言わなくていい」というのは、「まだ十分に気持ちが伝わらないうちは、まだ言わなくていいし、最初の人の気持ちをくんであげよう。言いたいなら、その後で言おう」ということなんだろう。決して、条件反射のようにならずに。あたかも、言わずにおれないような、切迫したような私の気持ちの表明、衝動的な表明したい気分におぼれることなく・・・。人生、そんなに急いでどうする。

Aさん 「わたし、これ好き!」

これに、感覚的な条件反射をしてしまう人が多い。

まるで、ベルが鳴ったらよだれがでてくる犬のように。

Aさんの言葉の余韻が、消えるか消えないうちに、

「えっと、えっと、ワタシの好みで言うと・・・」と言いたくなってしまう。

ワタナベさんは、このことを言わんとしているのだろう、と思う。


本当は、なんで人間は、こんなに急速な、まるで反射的な会話をするようになったのだろう、ということ。相手の気持ちを十分に受け取らないうちに・・・。

こんなのは、本当の会話じゃあ、ない。

ワタナベさんは、そこまで言いたいんじゃないかな。


「先生、ギター上手だよね」

と子どもが言う。


「いやあ、下手な方だよ」

と言ってしまってから、

(あ、今のは条件反射だよな)

と思う。

こういう脊髄反射を、脳の表面での突発的感覚的な思考なしの会話、という意味で、

無人格反応』という。


つぎに、子どもが言いたかったのは、なんだろうか。

本当に、伝えたかったのは、どんな気持ちなんだろうか。

それを考える前に、相手の発言をバシッと、体育館の床に叩き落とすような感じで、

バレーボールのアタックを決めるような感じで、

「いや、下手だよ」

と言ってしまう。

下手だよ、と言う先生に、

「ゆずの〇〇という曲を弾いて」

とは、頼みづらいではないか。


「ありがとう」

と先生が微笑んで返してくれたら、「ねえ先生、ゆずの・・・」と、切りだそうとしたのかもしれないのに。

こんな下手くそな会話ばかりしているのかも。