漢字の話 「泊る」と「晒す」
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布を川のながれに泳がせて、布を白くすることを、晒(さら)す、と言う。
だれでも、漢字をつくるとしたら、これはサンズイだろう、と思う。
だって、川の水で、布を白くするんだから。
サンズイに、白、とするのではなかろうか。
ところが、サンズイに白、だと、「泊」になる。
逆に、宿をかりて泊まる、という漢字をつくるときは、どうだろう。
そろそろ日が西にかたむいてきて、どこかに寝泊まりできる場所はないかとさがす。
このままだと、すぐに暗くなってしまう。宿を探さねば。
日が、西に傾く。
「晒」と、書きたくなる。
ところが、これは、晒す(さらす)、という字でしょう。
つまり、「泊」と「晒」は、どこかで入れ替わってしまった字、ということになる。
4年生は、漢字辞典を勉強する。
必然的に、わたしは漢字の話ばかりする。
算数のときも、「算」という字の成り立ちを話す。
「先生、算数なのに、国語みたいになっちゃったね」
先日は、「女」ヘン、というものがあることを伝えたら、Sくんがやっぱり気になったらしく、
「先生、男ヘンは?」
ときく。
「残念。ありません」
というと、
「女だけあって、ずるい」
クラスの男子が、全員で憤慨するような空気になる。
「男がなくって、女だけあるなんて」
そこで仕方なく、常用外になるから学校じゃ習わないけど、と断って、
「甥(おい)」という字を教える。
それだけ?
うーん。
わたしが漢字をダシにして、世間のさまざまを語ると、
刺激された子どもたちも、自分の勝手な考えを話すことがあります。
ふつうの授業展開からすると、はっきりいって、無駄話です。
「余計なことをしゃべっていないで、ハイ!教科書ひらいて!」
という場面ですね。
ところが、思いのほか、そういうことをしゃべっているときに、
子どもの素の顔がみえてくることがある。
友達どうしでも、そのようで、
「ふーん!」
「へえー!」
と、お互いに驚いたり、面白い!と笑いあったりする。
こういうこと、多いヨ。
お互いの素の顔をわかりあっていると、
クラスの過ごしやすさなんかは、確実にかわってくるように思うね。
布を川のながれに泳がせて、布を白くすることを、晒(さら)す、と言う。
だれでも、漢字をつくるとしたら、これはサンズイだろう、と思う。
だって、川の水で、布を白くするんだから。
サンズイに、白、とするのではなかろうか。
ところが、サンズイに白、だと、「泊」になる。
逆に、宿をかりて泊まる、という漢字をつくるときは、どうだろう。
そろそろ日が西にかたむいてきて、どこかに寝泊まりできる場所はないかとさがす。
このままだと、すぐに暗くなってしまう。宿を探さねば。
日が、西に傾く。
「晒」と、書きたくなる。
ところが、これは、晒す(さらす)、という字でしょう。
つまり、「泊」と「晒」は、どこかで入れ替わってしまった字、ということになる。
4年生は、漢字辞典を勉強する。
必然的に、わたしは漢字の話ばかりする。
算数のときも、「算」という字の成り立ちを話す。
「先生、算数なのに、国語みたいになっちゃったね」
先日は、「女」ヘン、というものがあることを伝えたら、Sくんがやっぱり気になったらしく、
「先生、男ヘンは?」
ときく。
「残念。ありません」
というと、
「女だけあって、ずるい」
クラスの男子が、全員で憤慨するような空気になる。
「男がなくって、女だけあるなんて」
そこで仕方なく、常用外になるから学校じゃ習わないけど、と断って、
「甥(おい)」という字を教える。
それだけ?
うーん。
わたしが漢字をダシにして、世間のさまざまを語ると、
刺激された子どもたちも、自分の勝手な考えを話すことがあります。
ふつうの授業展開からすると、はっきりいって、無駄話です。
「余計なことをしゃべっていないで、ハイ!教科書ひらいて!」
という場面ですね。
ところが、思いのほか、そういうことをしゃべっているときに、
子どもの素の顔がみえてくることがある。
友達どうしでも、そのようで、
「ふーん!」
「へえー!」
と、お互いに驚いたり、面白い!と笑いあったりする。
こういうこと、多いヨ。
お互いの素の顔をわかりあっていると、
クラスの過ごしやすさなんかは、確実にかわってくるように思うね。