叱らないでも いいですか

「叱らないで、子どもに伝える・通じ合う」 小学校教師、『新間草海』の本音トークです。

喋りすぎるか、寡黙すぎるか

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自分がしゃべりすぎているか、

それとも、

寡黙すぎるか、どちらかに偏っていないかと、ふと思う。


だれかと話す。

その瞬間、自分は本当に、楽な状態、自然な状態でいるか。

つまり、なにも格好もつけないでいられて、そのまま、素のままで生きているのだろうか。

わたしは、世界中の人が素のままで生きられるのが、いちばん楽で、効率が良く、だれも苦しまないでいられるだろう、と思う。




喋りすぎるのは、なにか、うしろめたいことがあるとき、かもしれない。

また、なにかが怖いのかもしれない。

他人の何かを怖れているとき、人間はしゃべりすぎる。



一方で、寡黙になる時も、なにかうしろめたいことがあるとき、かもしれない。

自分の内部の、怒りをおさえようとして、寡黙になることがある。



日常的なところでは、自分が人と、どんな会話をしているか、

そのときの自分の状態が、どんなだろうか、といつも、気にする。

自分が楽で、さらに、相手も楽になるような、そんなふるまいができるようでありたい、と思う。

そう考え続けていると、

子どもにはこういうセリフで語り掛けなさい、とか

こんなセリフで、やる気を出させよう、とか

そういう情報は、要らんよなー・・・。



言葉は、外からやってくるのではなく、

耳を澄ませば、ちゃんと、自分の内側から、やってくる。

それは、ほぼ、正解となることが多い。(つまり、きちんと、伝わる)



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